2014年10月11日

天気予報

近年,気候の変化に伴うと思われる大災害がほぼ毎年数件起こっている.
そんな状況を反映してか,ひまわり8号も打ち上げられ,運用が開始されるということも聞こえてくる.
特に,台風18,19号と一週ごとに来襲という事態になっている.

そんな中,テレビの気象情報を観ていて気づいた.

今現在,テレビ,新聞,また,気象庁のウェブページすべて,北海道の釧路から下に向かって最後は沖縄県の那覇である.
日本の気象,天候は,基本的に西から順に移り変わってくる.
ということは,全国の天気予報の並べ方が逆なのではないか.
今の表示は,気圧配置等の進行とは逆行しているのである.
沖縄方面から並べる方がその後の気象の予想がイメージしやすいのではないかと思うが,いかがだろうか.

2014年8月 8日

高田郁著「銀二貫」

平成26年度第1四半期のNHK木曜時代劇で,番組宣伝で大坂の商家が舞台であることを知り,毎回欠かさず見ていた.
時代劇で大坂の町が舞台というのは非常に珍しいし,また,主人公が武士ではないので,チャンバラ,立ち回りがないのも珍しかった.
確かに時代劇としては,淡々としてダイナミズムに欠けるかもしれないが,人情劇として非常に面白く見入っていた.
歌舞伎で言うと,江戸の荒事,上方の和事といったところか.
大坂の商家の様子が知れるようなものといえば,身近には上方落語くらいしかないのである.
しかも,大坂の商家であれば船場が舞台というのが相場と思われるが,天満であるというのも少し変り種である.

テレビドラマで興味が出たので,原作小説も読んでみることにした.
普通は,ドラマの説明不足でわからなかったところが小説で氷解することが多いのだが,逆に原作小説のほうが淡白でドラマでは演出がかなり盛ってあったような気がする.
かといって,ドラマと同じような演出が原作でされていたら,くどいと感じたことだろう.

何よりも,勤め先が天満橋なのでなじみがあることも魅力のひとつに感じられた.
天満界隈が何度も大火に見舞われる描写がある.中には大阪天満宮が消失するような大火もある.
そのような火災の描写で大川のこちら側と向こう側で延焼するかしないかというようなこともあり.
毎日通っているところなので,風景が抵抗なく想像できてしまう.

心情,科白が当然ながら,なにわことばで記されているので,普段使っている言葉に近く,イントネーションもそのままで伝わってくる.
とても,読後感もさっぱりとすがすがしい.

妻いわく,同じ高田郁氏の「みをつくし料理帖」も民放でドラマ化されているが,少し見ただけでも陳腐すぎて納得感がまったく得られなかったということである.
「みをつくし料理帖」は江戸を舞台に上方生まれの女性料理人が活躍する話であるが,大阪で制作するべきだったのかもしれない.

2014年7月24日

インスタントはインスタント!

インスタント論争、コーヒー界二分 ネスレ、団体脱退へ

まあ,だいたいが,「レギュラーソリュブルコーヒー」などと言い難いこと甚だしいことが定着するなどとは思ってはいなかったが,よほど根拠のない自信があるらしい.
味見せずに非難ばかりもできないので,一年ほど前に試してみたが,インスタント以外の何者でもない.
むしろ,いつも述べているように,AGF MAXIMのほうが美味しい.
これも動かしようがない.
製法がどうのこうのではない.飲用するスタイルが「インスタント」=即席なのである.
したがって,ネスレがどう主張しようが,これはインスタントコーヒー以外にカテゴライズできないのである.

2014年7月 4日

だから,言ったぢゃないか

元市選管事務局長ら、白票300票不正に増やすというニュースがあった.
かつて,こんなことを書いた.
やはり,起こるべくして起こったと言わざるを得ないだろう.
このところ,周辺諸国とわが国の辺縁が不穏である.

重ねて主張するが,白紙投票は行ってはならない.
「該当者なし」と書いて積極的に無効票を投じるべきである.

2013年11月16日

食材偽装騒ぎに思う

最近,ホテルやレストラン等の食材偽装問題がかまびすしい.
産地詐称や成形肉など,当然,非難されて然るべき事項も多い.
しかし,的をはずしているのではないかということもいくつかある.
私が「何じゃ,これ?」と思ったのは,"鮭と称して鱒を出していた"というものである.
だいたい,生物学上,サケとマスの区別は海に出るか出ないか程度で明確なものではないそうである.
あと,"おふくろの味と称しているが実際には中年男性料理人が調理していた"というもの.
そもそも"おふくろの味"の提唱者は誰かといえば,料理研究家の土井勝氏である.
確か,モノクロの頃のNHK「きょうの料理」だったかと思う.すでに当時で土井勝氏は中年男性である.
それを鬼の首を獲ったかのごとく,非難するマスコミ.
自分らの不祥事はたいした反省もせずに,誤報は誤報と認めず,訂正や謝罪は申し訳程度.
新聞なら紙面の目立たない片隅,テレビならば何のことかわからない一言の詫びのみ.

根源的なことは,日本人の上っ面のみのブランド志向ではないだろうか.
看板やキャッチコピーに惑わされ本質を見極められないことにつけこまれている結果なのである.

2013年11月 3日

ギターアンプと真空管との相性

ぶっちゃけて言うと,安物.
自慢できる代物ではまったくないが,東京サウンド製のプリアンプ真空管式ギターアンプをH&M model30とFLIP GA-100FCの2台持っているわけである.
両方ともプリ管は12AX7で,H&Mは1本,FLIPは2本である.
GA-100FCには長い間,SOVTEKの12AX7-WAを装着していた(20年以上前のハナシで,今になると馬鹿なことをしたと後悔しきりであるが,オリジナルでついていた真空管は捨ててしまった).
少々,おとなしい印象があると感じていた.
H&Mは購入時にはハンガリー製真空管が装着されていたが,結構いい音がするので温存しておくために何に換えようかと楽器通販サイトを物色していた.
そうして目に留まったのがBugeraのECC83管.レビューにGA-300FCに装着したら良いザクザク感が出たとあったのでそれにつられて3本まとめて購入.
確かにGA-100FCに装着するとワイルドなドライブサウンドが得られた.
しかし,ゲインを絞っても若干歪んでいるという,結果的には歪み過ぎの管である.まあ,レビューに間違いはない.
オペアンプを組み込んであるとはいえ,真空管によって音に違いが出ているので良いのではないだろうか.
問題は,H&MにBugera ECC83を装着したときである.非常に不安定になった.
ピッキングのアタック直後に音が萎むように感じられるのである.意図しないボリューム操作のよう.
明らかに電気的におかしい.電源スイッチを入り切りしたときのノイズも気になる.
キャビネットを開けるにはいたらなかったが,コンデンサの容量抜けなどの劣化が原因ではないかと思い,まずは電解コンデンサの容量抜けのチェック方法を調べ始めた.
なにぶん,電気はまったくの素人である.真空管となると高電圧に触れる危険がある.慎重にせねば.
と,考えているうちにふと思いついたのが,余らせているSOVTEK 12AX7-WAにいったん差し替えてみること.最初は真空管が原因とは思っていなかった.
実際に差し替えてみると,非常に安定している.クリーンはハッキリした音像で,歪みも滑らかである.
H&MにはFLIPのようにあからさまなオペアンプは組み込まれていないだろうから,より顕著に現れるのかもしれない.
しかし,GA-100FC購入時についていた真空管はECC83とプリントされていたので,12AX7とECC83は完全に互換性がある真空管であると思っていたが,こんなにアンプと真空管の相性が顕著だとは思ってもみなかった.
H&MもFLIPも東京サウンド製なのでこのあたりは共通と思っていたが設計がまったく違うようである.
Bugera管は歪みに特化しようとするあまり,不要な負荷がかかるようになっているのかもしれない.

多種のブランドの真空管を集めて音質の違いを研究している方がいらっしゃるので,個々の違いについてはそちらを見てもらうことを勧めるが,ほぼ,そのとおりのことが体感されたという感じである.

2013年10月29日

要らない演出

テレビを観ていて,常に字幕が出るようになって久しい.
しかし,気になりだすと非常に目障りである.
かつて,新聞か何かのコラムがこの字幕を非難したら,聴覚に障碍を持っているとありがたいものだと逆非難されたということがあったようで,それはそれで認めざるを得ないが,完全にデジタル放送に移行したのだから,選べるようにしてほしいものである.
なぜ気になりだすと余計に目障りになるかというと,誤字というか誤変換が多すぎるのである.
国語審議会的には厳密ではないかもしれないが,「基」や「元」とすべきを「本」と表示したり,目に余るのは「濡れる」を「塗れる」と表していたのにはあきれ返るしかない.
字幕を作っている御仁は前後の脈絡をあまり考えていないとしか思えない.
画面と一致した印象にならないので興ざめである.

デジタル放送の字幕でも,全国放送の演芸番組あたりで上方演芸がかかろうものならそれはひどい.ちゃんと聞き取れてないならば,出演者に確認すればよいものをテキトーなそれらしい言葉を嵌めてある.
ネイティブの上方の人間からしたら,そんなことは言わんとしかいえない.あきれるばかりである.
テレビを見るときの脳の働きとしてはバラエティ的な字幕が出るとあまり活発にならないそうで聞くだけで理解するということが重要らしい.
それにも増して目に入ってくる文字もその内容も目障りである.
いやなら見なければよいというお説はごもっともであるが,しかし,内容は見たいものなのである.
おおよその傾向としては東京キー局のバラエティ番組で顕著である.
何でいちいち動物が歩いたりちょっとした動作をするたびに効果音を付けるのか.面白いどころか,興ざめである.
絶叫型の実況アナウンス風も気になる.状況として実況アナウンスの必要もないし勝手に作り手で盛り上がっているだけのように見えて,内輪受け,自己満足に近くこれまた興ざめである.

2013年10月25日

Movable Type update

つい先日,Movable TypeのVersion6がリリースされた.
当ブログのエンジンであるMovable Typeのバージョンはしばらくver.3.1.7でずっと放置していたが,サポートは終了しているし,新バージョンはリリースされたし,いい加減アップデートしようとしてver.5.2.8をインストールしようとしたが,なかなか一筋縄ではいかなかった.
アップグレードモジュールが起動してもすぐにデータベースの項目がダブっている旨のメッセージが出てまったく前に進めない.
ウェブ検索して諸先輩方で同じ症状を回避した例を探して何とかデータベースのアップデートを通過してようやく全体のアップデートが完了したと思ったら,今度はアーカイブページの再構築ができない.
いつまで経っても14%で止まったまま.何回試みても同じところで止まる.
理由がまったくわからないまま,また同じように検索してみると,再構築記事数を増やすことで解決できた.
ところがこれも,人によってはサーバーに負荷をかけすぎると一方的に切られるので少なめにしておくべきと書かれている方もいる.
トライ&エラーで結果的に済んだからこれが正解だったと結論するしかない.
本来は,この借りているサーバーにインストールされているモジュールは不足していたり,古かったりするようでVer.5系は何とか動く程度らしい.
Ver.6はまだリリースされたところなので,不具合が修正されて落ち着いてからにしようと思う.

2013年10月 5日

市川寿憲氏逝去

最近の中で新聞の訃報欄を見てこれほど驚いたことはない.
3日に名古屋出張から帰宅して夕刊を広げていて訃報欄にこの名前を見つけてまず身を乗り出し,朝日放送のプロデューサーであることを確認して愕然となった.

普通は,この名前を聞いても社会的地位としては単なる会社員でしかないし,ピンと来る人はほぼいないと思われるが,直接関係のない人でもきわめて馴染み深い特定の人々がいる.
私もその一人である.
朝日放送のプロデューサーにして上方の伝統芸能に精通した方であった.54歳とは若すぎる.


この9月いっぱいで放送終了した朝日放送ラジオ「桂米朝よもやま噺」で上方落語の重要無形文化財保持者(いわゆる人間国宝)桂米朝師を相手に聞き手を務めていた方である.

番組終了を米朝師の高齢による健康状態を配慮してということを理由にしていたが,もうひとつの隠された大きな理由が市川氏の健康問題だったのではないだろうか.
米朝師の孫弟子に当たる雀松師の三代目文之助襲名に立ち会えなかったことになる.
米朝師の周りの父親,正岡容,四代目桂米團治という二人の師匠,みな55歳でなくなっているという.
米朝師自身も節目だと思っていたそうである.
しかし,倅ほどの年齢の市川氏まで54歳で亡くなるとは.
しかも,八年あまり番組の聞き手を務めてきた相方である.
枝雀師,吉朝師,先代歌之助師など頼りにしていた弟子,四天王のうちの二人,六代目松鶴師,五代目文枝師,上方芸能の同胞である茂山千作,千之丞,また,小沢昭一氏など正岡門下の後輩らも先に逝き,取り残されたように思われてますます気落ちされているのではないだろうか.

これから,上方の古典芸能のご意見番として市川氏の活躍が期待されていたのにという思いと同時に,米朝師の心情を思うと上方落語ファンとして気がかりでならない.

2013年5月30日

火怨・北の英雄アテルイ伝

NHK-BSで1月,同総合で4月に放送された全3時間の時代劇である.
録画してあったのをようやく見終えた.
当ブログをずっとお読みいただいている方には,私が高橋克彦氏作の東北歴史小説のファンであることをご存知であると思う.
東日本大震災復興への応援として,「火怨-北の耀星アテルイ-」がドラマ化されると聞いて期待もしたが,正直見終わって落胆のため息しか出なかった.
番組BBSを見てみるとそれなりに好評価も多いようだが,そういう方の書き振りを見るに原作を読んでいないように見受けられる.
私にとっては原作のスケール,読者の裏をかく演出をはじめ,あらゆることが不満である.

まずは,朝廷の陸奥に対する支配を強めようとする理由が薄弱であり,また逆に蝦夷が反抗する理由も描かれ方が薄弱である.
物語の事の発端である宝亀の乱に至る過程が単純に伊治呰麻呂が阿弖流為にほだされただけのように思える.
阿弖流為と母礼による蝦夷軍組織,周到な戦術,また,坂上田村麻呂の懐柔戦略の進め方などが全く説明不足である.
終末近くの蝦夷の長たちの離脱と朝廷への帰順も阿弖流為を見限ったかのようで,結局,人望がなかっただけのように見える.
呰麻呂も阿弖流為もあまり先のことを考えていなかったような印象しか受けない.
原作ではそうではない.田村麻呂の人物を見込み,蝦夷が生き残る方策として離脱させていったのである.
歴史的史料は『続日本紀』くらいしか文献がないのだから事実はわからない.しかし,原作を「火怨」とし,題名にもそう記してあるのだから原作の精神を垣間見せて欲しい.
出来上がったドラマは単にモチーフとして取り上げた全く別の物語であった.それならば「火怨」にしなくてもよかったのではないか.
原作にはなかったが,唯一,評価できるとすれば,製鉄・製刀に必要な木炭のために,山は伐られ,川は流出した金気(かなけ)で魚が死に,美しい故郷を守るために荒れてしまった矛盾に阿弖流為自身が気づいても見過ごしてしまった反省が描かれたことである.

NHKの製作なのだから,同じ高橋克彦作の1993年度の大河ドラマ「炎立つ」につながるような演出を期待していたのである.実際,「炎立つ」には精神的な背骨として阿弖流為が登場する.
平安時代末期を舞台とした「炎立つ」では,安倍氏・奥藤原氏の後ろ盾として,『平治物語』『平家物語』『義経記』『源平盛衰記』などに登場する“金売り吉次”を中央で政争に敗れた物部氏の末裔としている.
奈良・平安時代初期を舞台とした「風の陣」「火怨」でも同様に蝦夷の後ろ盾として,軍用馬と黄金,製鉄の根拠として物部氏がある.
ドラマ化された「アテルイ伝」には物部氏は登場しない.ただ,陸奥馬の養育になぜか大伴氏が携わっていた.
物部氏に蝦夷の財力と技術の根拠を求めるのは偽書と結論されている「東日流外三郡誌」が下敷きになっていることを憚った結果なのか.

映像化するのならば,高橋崇氏や高橋富雄氏といった研究者の監修を得て,本当の意味の“大河”ドラマとして「風の陣」から「火怨」に至るまで,主人公を道嶋嶋足,伊治呰麻呂,阿弖流為と変えながら2,3年懸けて壮大にやってほしいものである

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