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2005年8月 アーカイブ

2005年8月 3日

神の思し召し

私は,基本的に(カルト)宗教は嫌いである.超自然的な存在としての神は否定する.しかし,神話の類は物語としては大いに興味を持っている.
なので,いにしえより心の拠り所とされている方々については,否定したり非難したりするつもりは全くない.

私は,技術者として企業に勤めている.
工学という自然科学の一分野の末端に居るわけである.
私は,昔から自然=神だと思っている.しかし,マザーアースやガイア理論とは少々趣を異にするように思う.
三平方の定理で有名なピタゴラスも実は宗教家だった.数学は宗教活動だったのである.それに近いかも知れない.
自然科学というのは,つまり神からのメッセージを読み解くこと.

先のJR西日本の事故のような大きなことや,小さなことでは私の職務の上でのクレーム発生など,これらは物理現象である.
つまり,これらは,神=自然現象の軽視あるいは無視が神罰として下ったものではないかと思うのである.
クローン技術が神への挑戦や冒涜と表現されることが多いが,そのような直接的なことだけではない.
ダイオキシンや内分泌攪乱物質(環境ホルモン),オゾン層を破壊し,かつ,温室効果係数も高いフロンガスなどの自然分解が困難な化学物質,石綿(アスベスト)の問題も,物質自体は,自然現象としては理論通り成り立っている物である.特にアスベストは天然鉱物である.

しかし,結果として直接的・間接的に天然の生態系を狂わせたり,人間その他の生物の生命・種族維持をも脅かすことになっている.
これは,神からのメッセージ(=自然法則)を読み下すことができても,読み落しがあったり解釈を誤った結果ではないのだろうか.
自然科学の話をしているのに表現が文学論のようになっているのは矛盾しているかも知れないが,ご容赦いただきたい.
自然科学の研究者や技術者は,神からのメッセージを受取り,正しく解釈し,民衆に伝えるという役割を担っているのだから預言者でなくてはならないのではないか.
言者とは,例えばユダヤ教におけるモーセ,イスラム教におけるマホメットがそれにあたる.予言者ではない.
ただ,自然=神とした場合,解釈の相違(違う角度からの探求はある)で宗派が分かれることは絶対に許されない.
自然現象には,必ず因果関係があり,複雑な条件があっても,突き詰めれば一対一でしかないからである.
現在でも未解明なことの多くは,複雑に絡み合ったことを解きほぐして分離する手法が見つかっていない事象が多いだけの話である.
こうした意味で,宗教であっても真理は一つのはずなのに分派やカルトが発生するから,宗教には身を委ねようとは思えないのである.

事故や災害に遭うのは,星回りや行いが悪いのではなく,好むと好まざるとにかかわらず神の意志(自然法則)に反することに身を委ねている結果なのではないだろうか.
これが私の宗教観である.

2005年8月 8日

TalkMasterII-H

talkmaster.jpg
メモリーレコーダーつきラジオとでもいうのだろうか.
メモリープレーヤーやメモリーレコーダーは,各社から発売されており,最近はFMラジオ付きもぼちぼち出てきたが,AMラジオ付きは,有名オーディオメーカーからは発売されていない.
携帯型音楽プレーヤーは,アップルコンピュータのiPodが火付け役になって既存オーディオメーカーもそれに追従する形になっている.
しかし,何度かこれまでにも書いてきたように私はAMラジオも大好きなので,全く食指が動くに足るものではなかった.
特に勤め人としては,深夜ラジオがタイマー録音できる機能が欲しかった.
ラジオの番組は2時間がザラ,中には3~4時間という猛者番組もある.カセットテープならばデッキのタイマー起動は勿論,オートリバース,リレー録音が必須である.
ところがカセットテープは長時間タイプを使うとテープが薄く,使っているうちに疲労・劣化でキャプスタンやピンチローラーに巻きついてしまう危険性がある.
また,音楽だけならば,少々かさばっても通勤カバンを持つのだから,ポータブルCDプレーヤーで事足りるのである.
携帯電話にまでメモリープレーヤー機能が付くほど主流になってきたのでいまさらMDを購入する気にはなれない.
漠然とAMラジオをタイマー録音できるメモリープレーヤーがあったらいいなあと思っていたところに出てきたのが,サン電子VoiceLabのTalkMaster(写真左)である.
元々はトークマスターの名のとおり,NHKラジオ語学講座番組聴取者向けで,そこにFMラジオとMP3プレーヤー,ボイスメモ機能を付けたというものである.
一昨年の秋に購入して毎週3~4番組をタイマー録音し,メモリープレーヤーとして愛用してきた.
その後継上位機種として今春発売となったのがTalkMasterII(写真右)である.
ラジオチューナーの感度向上や録音フォーマットを全てMP3としてステレオ録音も可能とし,USB1.1ではあるがポータブルストレージデバイスとしても使えるなど,かなり機能・性能が向上している.
液晶画面表示がドットマトリクスとなり,ユーザーインターフェイスがわかりやすくなったので,直感的に扱えるようにもなった.
語学練習用ということで再生スピードを0.5,0.7,1.0,1.3,1.5倍に変えることができ,かつ,任意区間のリピート再生ができる.しかも音程は変わらないのでギターのフレーズコピーにも大いに活用できる.
TalkMasterでは,かなり混乱をきたしたファームウェアのアップデートもPCからUSBを介して行えるようになり,リセットスイッチも付いてフリーズに対処できるようになった.
実際,私のTalkMasterもフリーズして不具合が生じた.無償修理,元払い発送返却でかなりの痛手を余儀なくされたと推察できる.

逆に不安が拭い去れない部分もある.
携行時の電源がTalkMasterでは単4型電池だったのが専用充電池になっていることである.充電池交換にはドライバーが必要で手軽には行えない.
基本的に通販のみであるが,全国のいくつかの書店店頭でも販売されている.
TalkMasterは,当時関西ではそこしかなかったので京都三省堂書店で購入した.今年春から大阪旭屋書店本店でも店頭販売が始まった.
TalkMasterIIには内蔵メモリの容量が128MBのSと512MBのHの2タイプあり,Hタイプはメーカー直販のみのはずだが,旭屋書店では売られている.
MP3プレイヤーとしてみた場合には128MBあれば十分と思えるが,USBメモリとして使えるなら音声データのほかにも入る余裕があるに越したことはないと考え,
店頭でも入手できるならと,512MBタイプのTalkMasterII-Hにした.

様子を見に行ったときには在庫があったのに,2日後には売り切れていたので注文し,一週間足らずで入荷した.
サン電子といえば,一般層には知られていないが.主にパチンコ台のコンピュータ部分のメーカーだそうである.
しかし,VoiceLab製品はかなり売れているようである.私は4月10月に発行される『ラジオ新番組速報』の広告ページで知った.
基本はウェブによる直販であり,店頭販売は家電量販店ではなく書店の語学コーナーでのみである.
一流メーカーと呼ばれているところも追従して一通りの製品が同列に並べば,このジャンルがより洗練されると思うのだが.

機能がかなり多いので,使いこなすためには取扱説明書としばらくは首っ引きである.

2005年8月12日

缶(PETボトル)飲料

外出時などは,自動販売機やコンビニエンス・ストアで売られている,缶入りやPETボトル入りの清涼飲料水が重宝する.
最近は,緑茶飲料が売上が伸び,しかも種類も多くなっている.
何よりも烏龍茶であろうと麦茶であろうと緑茶であろうと,無糖なのが嬉しい.
昔は販売されている清涼飲料といえば,ジュースか炭酸飲料あるいは缶コーヒーだったのがウソのようである.
年齢のせいか,炭酸飲料は欲しくなくなったし,紅茶飲料はアップルやレモンティーも甘すぎる,ミルクティーは紅茶の風味が薄いのに香料が強すぎて恐怖である.
また,缶コーヒーは,極力避けるように努めている.コーヒーとしての味に不満が非常に大きいことは勿論であるが,甘すぎるのである.
副次的に缶コーヒーを飲まない理由としては,この甘すぎる缶コーヒーを飲むと独特の強い口臭が発生する.本人でもわかるほどである.
缶コーヒーを,いま,まさに飲んでいる人のそばには近寄りたくない.普通の缶コーヒーだけではなく,微糖のものについても同様である.
レギュラー・コーヒーやインスタント・コーヒーを飲んでもこのようなことは無い(ただし,砂糖なし).
結局,甘いことによる副作用なのだろう.糖が口の中で酸に変化して後口が悪いことと連動しているように思う.
缶コーヒー各社最低1本はブラック・コーヒーも出しているが,商品それぞれについてメーカーの特色は当然出るものとしても個体差のバラツキが非常に大きい.
つまり,当たり外れがあるのである.
ということは,コーヒーという飲物は,缶(PETボトル)詰めにしても安定して良い風味を保つことはできず,砂糖によって強く味付けしなくては飲めたものではないということである.
煎って2週間,挽いて3日,淹れて20分が消費期限の大原則は,動かしようが無い.
風味の劣化が少ないとはいえ,水出しなどやっていては食品工業として生産効率が低いことは明らかである.

困ったことに,オフィスワーカーとして勤めていると“気付け”のための刺激が欲しくなる.
珈琲依存症患者としては,味が悪いのが分かっていながら缶コーヒーを求めてしまうジレンマが発生するのである.

2005年8月25日

ネット友にオフラインで会う

関東出張にかこつけて,ともにゃんさんに会った.
彼女の希望で,銀座のカフェ・ド・ランブルにて.

ブログでは少々過激な右よりなことも書いてらっしゃるが,実際には地味といっては失礼であるけれども,特に暴論を吐くような方ではなく,むしろ私のほうが暴論を言っていたかもしれない.
私も若く見られるほうだが,私より2歳下だとは思えないほど若く見える.
政治や時事についてあまり話すつもりは無かったのだが,ついついそちら方面へも….結局,予想したとおり,意見が対立することは無く終始同意しかなかった.
何にせよ,総選挙が楽しみである.というのも共通した見解であった.
他に主に話したことといえば,音楽やお茶・珈琲について2時間ほど.当然のごとく,まだまだ話し足りない.
いつになるかは分からないが次の機会が楽しみである.

過去何人もウェブ上で仲良くなった人たち,何人か実際に会った.
ちょっと,ちゃうかなっていう人も数人はいたものの,皆,押し並べていい人たちばかりだった.
同好の士であることが大きな原因なのだろうし,一応,選んでるつもりなので最長の方は7年になる.

2005年8月30日

縦に書け!横書きが日本人を壊している

著者:石川九楊 祥伝社刊

この本に述べられていることに賛同しながら,PCでインターネットを介したブログにその感想をしたためる,というのは自己矛盾を生じているという思いを禁じ得ないが.
書店で挑発的な題名とそれを強調する単純な表紙が非常に目を惹いた.
帯に書かれていることが極論に思えて,そういうのを読んでみるのも良かろうと思って購入して読んでみた.
各論それぞれについては,納得できない部分もあるし,自分はそうではないと思った部分も少なからずあった.
筆者の主張もよくわかるが,氏はまったくPCも携帯電話も触らない.触ってから両方の特性を論じてほしかったと思う.
筆者は書家であり,手で文字を書くことについての造詣は非常に深くある.
それに縦書きを強調されているが,数式を扱う技術文書はどうするのだと思いながら読み進めて行くと結局は例外扱いされていた.
英語,数学(算数)と理科以外の教科書は縦書きにせよとは,もっともだと思う.
確かに私が小学生の頃の教科書は国語以外にも社会科は縦書きで,中学校に進学して社会化教科書が横書きになっていたことに違和感を感じた覚えがある.

筆者の主張では,言葉を扱うのにキーボードを打つという動作変換の不自然さが現れているということである.
その主張もわかるが,私個人のことを述べると,このブログ用の文章を打っている時の思考は,筆者が主張する“手書きで文章を考える際の思考展開”と何ら変わらないと思っているが.

本書にも述べられていると同時に最近強く思うのであるが,新聞の記述がますます深みがなくなっているように思えてならない.
特に朝日新聞の「天声人語」は私から見ても質が落ちたのは明らかである.私がこのブログで書いているほうがよほど中身があるのではないかと思うほどである.
本論は,横書きをすることに重きを置いて非難しているのではなくて,産業の道具としては十分にその効果は認めるが子供にケータイ,PCを触らせるなということである.
何度となく私も主張しているが,デジタル万能ではない.人間は基本的にアナログ活動をするものである.
極論を読んで批判するつもりだったのであるが,少々,納得できない部分はありつつも,結局,私の意見と異口同音だったわけである.

私自身も携帯電話やPCを利用しているが,子供の頃にこんなものがあったらかなり難儀なことになっているのではないかと自分で感じている.

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