神の思し召し
私は,基本的に(カルト)宗教は嫌いである.超自然的な存在としての神は否定する.しかし,神話の類は物語としては大いに興味を持っている.
なので,いにしえより心の拠り所とされている方々については,否定したり非難したりするつもりは全くない.
私は,技術者として企業に勤めている.
工学という自然科学の一分野の末端に居るわけである.
私は,昔から自然=神だと思っている.しかし,マザーアースやガイア理論とは少々趣を異にするように思う.
三平方の定理で有名なピタゴラスも実は宗教家だった.数学は宗教活動だったのである.それに近いかも知れない.
自然科学というのは,つまり神からのメッセージを読み解くこと.
先のJR西日本の事故のような大きなことや,小さなことでは私の職務の上でのクレーム発生など,これらは物理現象である.
つまり,これらは,神=自然現象の軽視あるいは無視が神罰として下ったものではないかと思うのである.
クローン技術が神への挑戦や冒涜と表現されることが多いが,そのような直接的なことだけではない.
ダイオキシンや内分泌攪乱物質(環境ホルモン),オゾン層を破壊し,かつ,温室効果係数も高いフロンガスなどの自然分解が困難な化学物質,石綿(アスベスト)の問題も,物質自体は,自然現象としては理論通り成り立っている物である.特にアスベストは天然鉱物である.
しかし,結果として直接的・間接的に天然の生態系を狂わせたり,人間その他の生物の生命・種族維持をも脅かすことになっている.
これは,神からのメッセージ(=自然法則)を読み下すことができても,読み落しがあったり解釈を誤った結果ではないのだろうか.
自然科学の話をしているのに表現が文学論のようになっているのは矛盾しているかも知れないが,ご容赦いただきたい.
自然科学の研究者や技術者は,神からのメッセージを受取り,正しく解釈し,民衆に伝えるという役割を担っているのだから預言者でなくてはならないのではないか.
預言者とは,例えばユダヤ教におけるモーセ,イスラム教におけるマホメットがそれにあたる.予言者ではない.
ただ,自然=神とした場合,解釈の相違(違う角度からの探求はある)で宗派が分かれることは絶対に許されない.
自然現象には,必ず因果関係があり,複雑な条件があっても,突き詰めれば一対一でしかないからである.
現在でも未解明なことの多くは,複雑に絡み合ったことを解きほぐして分離する手法が見つかっていない事象が多いだけの話である.
こうした意味で,宗教であっても真理は一つのはずなのに分派やカルトが発生するから,宗教には身を委ねようとは思えないのである.
事故や災害に遭うのは,星回りや行いが悪いのではなく,好むと好まざるとにかかわらず神の意志(自然法則)に反することに身を委ねている結果なのではないだろうか.
これが私の宗教観である.