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2004年1月 アーカイブ

2004年1月24日

東北史好き

東北の歴史が好きと言っても,ごく限られた期間,平安時代と戦国末期~江戸初期のみなのであるが.
具体的に述べると,征夷大将軍坂上田村麻呂で知られる朝廷対蝦夷(えみし)の三十年戦争と奥州藤原氏の興亡,そして伊達政宗の生涯である.

そもそものきっかけはNHK大河ドラマである.
伊達政宗については1987年の『独眼竜政宗』である.大河史上最高のヒット作なのでこの作品のファンも多いだろう.
当時は,単に政宗を演じる渡辺謙の凶暴なほどにダイナミックでギラついた演技が魅力で食い入るように見ていた.
続いて奥州藤原氏の興亡を描いた1993年の『炎(ほむら)立つ』である.この作品も主演は渡辺謙だったが,ワーストに挙げた方がよい程にあまり知られていない.
題材として源義経の滅びの背景としてしか一般には馴染みがないのが要因だと思うが,筆者にとっては更に掘り下げたことが新鮮だった.
いきなり源義経の背景として登場する奥州藤原氏の興りが描かれることがそれまではほとんどなかったからである.加えて三代秀衡以外が描かれることはほとんどなかった.
歴史史料でも前九年の合戦については「陸奥話記」に数行記述があるに留まっている.初代清衡の父親,藤原経清もそのような人物がいたことしかわかっていない.
そんな藤原経清を中心に前九年の合戦を描いた『炎立つ』第一部に非常に熱い物を感じた筆者は,奥州藤原氏について本を読みあさった.ついには平泉にまで足を運んだ.
すると,意外にも,奥州藤原氏と伊達政宗はつながる事項が多かったのである.
二者とも傍流であるが京藤原氏に祖を求める血筋である.
奥州藤原氏は平将門の乱鎮定の功があった大百足退治で有名な俵藤太秀郷の流,伊達氏は源頼朝の奥州合戦に従軍した藤姓の中村朝宗が功を上げ伊達郡を賜ったことに発する.
また二者とも奥羽の活気を印象づける存在である.源頼朝によって奥州藤原氏が滅ぼされた後,歴史上に東北地方を印象づけるのは伊達十七代政宗まで待たねばならない.
室町時代の伊達氏中興の祖と呼ばれる九代大膳太夫政宗も知る人ぞ知る存在であるものの実にその間約400年(伊達“政宗”は二人いる.十七代政宗は九代政宗にあやかった名).
そうしたことをきっかけに更に遡ると,蝦夷の英雄=阿弖流為(アテルイ)に突き当たる.
朝廷側の大将=坂上田村麻呂はあまりに有名だが,阿弖流為はほとんど知られていない.
戦の起こりは奥羽地方に産する黄金を公卿が収奪しようとしたことによる(前九年合戦の発端も同じ).
田村麻呂は「怒れば鬼も恐れ,笑えば子供がなつく」と言われるほど懐柔策も巧い武人である.
田村麻呂は阿弖流為を生かして束ね役にしておけば蝦夷の反乱も抑えられると考え,阿弖流為も田村麻呂の人柄を見込んで投降したはずなのに,公卿が強硬に河内守山(現在の大阪府羽曳野市辺り)で阿弖流為の首を刎ねてしまった.
“清水の舞台”で有名な京都東山の清水寺は坂上田村麻呂の建立であり,阿弖流為の供養のために建てられた寺院である.
東北旅行をした後,そんな公家達の町京都で進学の関係で生活することにあまりいい気はしていなかった.

現在は観光地となっている平泉の達谷の窟を住処とした“悪路王”=阿弖流為とされているのがあまりに酷い.
本来は地元の古代の英雄であるはずが,大盗賊の頭目のごとき扱いである.
是非地元の方々には,阿弖流為の復権・名誉回復をして頂きたいと思っている.
筆者の主張である,「郷土愛を持て」「地方をステロタイプ化して見下すな」というのは,そもそもここから来ているのである.
筆者が大阪で生まれ育ったからといって,ありがちな大阪ナショナリズムだけで言っているのではないことを分かって頂けるのではないだろうか.

お薦めの歴史小説
山岡荘八「伊達政宗 全八巻」(山岡荘八文庫)
高橋克彦「炎立つ全五巻」(講談社文庫)
高橋克彦「火怨 上下巻」(講談社文庫)
高橋克彦「風の陣」(PHP)

2004年1月29日

もうちっとはマシな人だと思ったが

 長野県知事,田中康夫氏.

 長野県を信州県に変えようとしているとか.
文学者とは思えない馬鹿げたことを言い出すものだ.

 “信州”とは,“信濃の国”の略式表現であり,州=国で同義でさらにいうと現在の用い方では州と県も同義であると言えよう.
例えば,陸奥は奥州と言うし,出羽は羽州,尾張は尾州,三河は三州,和泉は泉州である.
早い話が二重表現である.敢えて言うなら信濃県だろうが.
ということは,“信州”という言葉に馴染み云々という理由付けは成り立たないわけである.

 なんでこのような基本的なことに気が付いて指摘しないのか,マスコミ.
特に“正しい日本語”の啓蒙者を自ら標榜するNHKこと日本放送協会も底が知れている.

 道州制をにらんだ,ともっともらしいことを言っているが,
それ以前に,現在の都道府県の行政区画よりも,かつての国の区画の方が気候風土から合理的なのではないか?
地方行政とは気候風土・土地柄に合わせたきめ細やかな住民生活に対応するものだからである.

 例えば,現在の三重県.近畿地方に属するのか東海地方に属するのかという曖昧な点がある.
経済圏と行政圏で見解が異なり,また,気象学的には,一県が3つに分かれるらしい.

 交通機関,情報網が発達したからといっても,
やはり,地理的な山や川の存在は大きく人の心に影響するもので,決して無視をすることはできない.

 信州県への改称案,長野県民は本当のところ,どう思っているのか?

鈴木賢司というギタリスト

 誰でもティーンエイジャーの頃というのは,10年後くらいに振り返ったときには非常に恥ずかしい青臭いことが好きだったりする.
 ちょうど筆者が大学受験の頃は,受験生人口がピークを迎える前後で偏差値偏重の歪みが取り沙汰されている頃だった.
そんな中,筆者の周りでも,尾崎豊信者が多数居た.
しかし,ハイティーンの全てが,盗んだバイクで疾走したり,夜中に学校に忍び込んで窓ガラスを割りまくるような発散の仕方を選んだわけではあるまい.
人それぞれに感情のぶつけようがあるはずなのにあまりに直接的にアジテーションするかのような尾崎豊の歌詞がどうしても好きになれなかった.
それはミュージシャンではなく,ある意味で思想家や活動家のやることではないのか,とも思ったりもした.

 当サイトの支店としてCruising Jammer Manと題して鈴木賢司/Kenji Jammerのファンページがあることはご存知だと思う.
鈴木賢司の音楽を聴くようになったきっかけはCruising Jammer Manにも述べているので割愛するが,最近になって思うのは,筆者にとっての尾崎豊は鈴木賢司だったのではないかということである.未だに彼の若い頃の作品を聴いて,その感情のこもったトーンに胸を詰まらせることがある.
 鈴木賢司がインストゥルメンタルで表現しようとした理由は,実際には他のところにあるのだが,イメージを限定しないファンそれぞれの解釈を許容していることにもなるだろう.
曲のタイトルが全てを物語っているが「輝ける7つの海をこえて」や「理由なき反抗」など,歌詞がないので題名が唯一の言葉でしかも楽曲の世界観を表している.
もちろん,鈴木賢司と尾崎豊が大の仲良しだったことは,ファンならば当然知っていることであるが.

 詰め襟の学生服,角刈り,黒縁眼鏡の“天才ギター小僧”として登場した彼だが,1987年INAZUMA SUPER SESSIONでJACK BRUCEと共演したことをきっかけに渡英し,
1990年代前半は,テクノサウンドに,それまでよりさらにブルーズ・ロック色を強めたギターをのせ,
1990年代後半から現在に至るまで,それまでも行動を共にしてきた屋敷豪太とSIMPLY REDにも参加し,
PCでハードディスク・レコーディングを行い,DUBやハワイアンにも傾倒するという音楽的変遷を見せている.

しかし,ことステージ上ではSIMPLY REDであっても元来のロック色の強いギター・ソロを披露することもあるそうである.

 筆者はERIC CLAPTONがフェイヴァリットだと言っているが,ERIC CLAPTONを聴くきっかけになったのも鈴木賢司であるし,
ゆえにERIC CLAPTONファンとしてよりも鈴木賢司ファンとしてのほうが長いのである.

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