誰でもティーンエイジャーの頃というのは,10年後くらいに振り返ったときには非常に恥ずかしい青臭いことが好きだったりする.
ちょうど筆者が大学受験の頃は,受験生人口がピークを迎える前後で偏差値偏重の歪みが取り沙汰されている頃だった.
そんな中,筆者の周りでも,尾崎豊信者が多数居た.
しかし,ハイティーンの全てが,盗んだバイクで疾走したり,夜中に学校に忍び込んで窓ガラスを割りまくるような発散の仕方を選んだわけではあるまい.
人それぞれに感情のぶつけようがあるはずなのにあまりに直接的にアジテーションするかのような尾崎豊の歌詞がどうしても好きになれなかった.
それはミュージシャンではなく,ある意味で思想家や活動家のやることではないのか,とも思ったりもした.
当サイトの支店としてCruising Jammer Manと題して鈴木賢司/Kenji Jammerのファンページがあることはご存知だと思う.
鈴木賢司の音楽を聴くようになったきっかけはCruising Jammer Manにも述べているので割愛するが,最近になって思うのは,筆者にとっての尾崎豊は鈴木賢司だったのではないかということである.未だに彼の若い頃の作品を聴いて,その感情のこもったトーンに胸を詰まらせることがある.
鈴木賢司がインストゥルメンタルで表現しようとした理由は,実際には他のところにあるのだが,イメージを限定しないファンそれぞれの解釈を許容していることにもなるだろう.
曲のタイトルが全てを物語っているが「輝ける7つの海をこえて」や「理由なき反抗」など,歌詞がないので題名が唯一の言葉でしかも楽曲の世界観を表している.
もちろん,鈴木賢司と尾崎豊が大の仲良しだったことは,ファンならば当然知っていることであるが.
詰め襟の学生服,角刈り,黒縁眼鏡の“天才ギター小僧”として登場した彼だが,1987年INAZUMA SUPER SESSIONでJACK BRUCEと共演したことをきっかけに渡英し,
1990年代前半は,テクノサウンドに,それまでよりさらにブルーズ・ロック色を強めたギターをのせ,
1990年代後半から現在に至るまで,それまでも行動を共にしてきた屋敷豪太とSIMPLY REDにも参加し,
PCでハードディスク・レコーディングを行い,DUBやハワイアンにも傾倒するという音楽的変遷を見せている.
しかし,ことステージ上ではSIMPLY REDであっても元来のロック色の強いギター・ソロを披露することもあるそうである.
筆者はERIC CLAPTONがフェイヴァリットだと言っているが,ERIC CLAPTONを聴くきっかけになったのも鈴木賢司であるし,
ゆえにERIC CLAPTONファンとしてよりも鈴木賢司ファンとしてのほうが長いのである.