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2006年8月 アーカイブ

2006年8月 9日

ご用心

立秋が過ぎ,暦の上では秋であるが,連日,厳しい暑さである.
まさに故・桂枝雀師が夏の厳しい陽ざしの描写で必ずやっていた,後頭部に手をかざして「お日ぃさんが,かぁーっ!」である.

夏になるとここ数年というもの熱中症の注意なんかが,毎回気象情報で言われている.
特に言われるのが,水分補給.
ところが,注意したいのが飲料の選び方.
お酒の好きな人なんかは,仕事が終わった後には冷たいビール!と言いたいところだろうが,誤り.
アルコールが苦手な者でも注意しなければならない.
私はこの点に特に注意しなければならないのだが,アイスコーヒーや緑茶・紅茶等は避けるべきである.
ビールにも通じるのだが,利尿作用があるため水分やナトリウムを排出する方向にはたらく.
スポーツ飲料も糖分が気になったり,それでなくとも甘いと後口が悪い.
味はともかく,薄い食塩水やにがりを混ぜた水が最適ということなのだろうか.

しかし,日本人は暑さに弱くなってしまっただけのように思えて仕方がない.
最高気温自体は,私が小中学生だった20年前ほど前とさして変わらないように思う.
当時,私は,風通しの悪い体育館でしかも分厚い道着と防具に身を包んで夏休み中クラブ活動で剣道をしていたのである.
にもかかわらず熱中症にも脱水症状にも陥らず,何ともなかった.
空調機器に慣らされてしまっているだけに過ぎないのではないか.
私の部屋には空調機はない.未だに扇風機のみで暑さを乗り切り,かつ,健康である.
しかし,日中の最高気温はともかく,熱帯夜だけは勘弁して欲しい.
都市の構造物の蓄熱容量と空調機器の排熱.これが元凶である.
せめて夜間は,空調機器の運転は停めるように努めて欲しい.
悪循環を断ち切るために.

2006年8月11日

約30年ともなれば

声優の鈴置洋孝さんが肺がんで亡くなった.
第一作の『機動戦士ガンダム』~『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』まで,歴代主人公が所属する戦艦の艦長:ブライト ノア役を演じた.
他にもファースト・ガンダムの主要登場人物を演じた声優の何人かが既に亡くなっている.
セイラ マスを演じた井上瑤さん,マ クベを演じた塩沢兼人さんである.
いちいち挙げることはしないが,それぞれにファンの間で語り継がれている名台詞がいくつかあり,もうそれらも劇中でしか聴けないわけである.
特に塩沢兼人さんについては,第一作劇場版3部作DVD-Videoが5.1ch音声で再録音されたときには既に亡くなっていたので,別の声優で当てられた.
取り立てて違和感があったわけではないが,腺病質で冷笑的な独特の雰囲気はやや薄れていたように思う.

TVシリーズの放映開始が1979年なので今年で27年になる.
当時に既にアニメーションのアフレコや洋画のアテレコで定番的な一線級の声優だった方々なので,それから25年以上も経れば無理からぬことである.
しかし,驚きなのは,主人公:アムロ レイ役の古谷徹さん,仇敵:シャア アズナブル役の池田秀一さん共に当時の雰囲気を全く失わない声を保っていらっしゃることである.
私は,第一作劇場版3部作の公開が小学校高学年に当たっていたのでジャストの世代である.
更には,私よりも上の世代では,古谷さんといえば『巨人の星』星飛雄馬役のほうが印象深いはずであるが,その雰囲気も未だ保っている.

日本のロックギタリストの代名詞,チャーこと竹中尚人先生もデビュー30年,齢50を超えて,なお「渋くなるなんて冗談じゃない」と言う.

自分自身では,まだまだ,そんなことも言う年齢に達していないし,達したとも思っていないが,“細く長く”ではなく,“Ever Green”,“太く長く”ありたいと思っている.

2006年8月12日

終戦記念日を前に

私自身の思想的立場は,政治的には中庸(民族的には右寄り)だと思うので両側の人々からは,あっちへフラフラ,こっちへフラフラな印象を持たれてしまうことは否めない.
ということを先にお断りしておく.

最近ようやく悟ったことなのであるが,
自分がある考えを持っているとして,自分の意に添った本を読んだり主張を聞いたりするのは心地良いので,それに身を委ね,持論を強化しようとするわけだが,それでは,養老孟司氏の言う「バカの壁」を高く分厚く積み上げていくだけに過ぎないので相手の言うことなんか聴こうともせずに互いに主張を強調しあうだけで終わってしまう.
私が小林よしのり著『いわゆるA級戦犯』は読みたいとは思っていても躊躇する理由はここにある.
非常にしんどく,苦痛を伴うことだが,むしろ,逆の考えに十分に耳を傾け,理解に努めなければならない.
もちろん,理解というのは自分にとって不合理と思われることを受け入れることではない.
相手の立場に立つことによってその論拠の欠点を具体的に認識できるのだ.それで揺らぐような持論は弱かったということに帰着する.
「朝まで生テレビ」は,討論会ではなく問題提起が目的のプロレスなので,視聴者はそれぞれの主張の応酬を楽しんでいれば良く,結論は求めてはいけない.
めいめいに大声で独り言を言うのが討論会であるわけがない.

矛盾点があろうが嫌いだろうがどうしようが,無理な戦争を継続してしまった国家の指導者には,極東軍事裁判で判決が下ってしまっているのだ.
名誉回復の件はあくまで日本国内だけの話である.外国が知ったことではない.
(朝日新聞の論は自虐史観による偽善,中韓朝に至っては国家規模のゆすりたかりでとしか思えないが)
昭和天皇のメモも今この時期に公表されたことは,何らかの政治的意図があることは疑う余地無しである.
ただ,現に昭和天皇も今上天皇も靖国神社に参拝していないので,内容は真実なのだろう.

現実を見通し,敗戦がなければ,負ける戦争さえしなければこんなことにはならなかった.ここに尽きるのではないだろうか.
当時から政治家・官僚・職業軍人の誰もが分かっていたはずである.
この責任は戦争犯罪が成立せずとも誰かが負うことは免れられなかったことだろう.
関西を中心に活躍しているナレーター(全国ネットではM-1グランプリ)畑中フーさんの意見には同感である.

もはや白州次郎のような傑物の出現は絶望しなければならないだろうか.
と書いているうちに件の本を読まなければという気になってきてしまった.

2006年8月25日

英国ならでは

1日3杯の紅茶が健康増進=がん予防に効果、骨も丈夫に-英研究者

ここまで行くと「ご立派」としか言えなくなる.因果関係がさっぱり分からない.
抗酸化作用のあるポリフェノールが含まれていることは,さもありなんという感じである.
心臓発作やガンの予防につながることも,まあ,そのポリフェノールの作用であるかも知れないと思える.
納得しがたいのは虫歯予防効果と骨を強くする効果である.
私がまず,紅茶と歯牙との関係で思いつくのは,タンニン(渋)の作用で,歯に着色汚れが付いてしまう事である.
それともこの沈着する渋に虫歯予防の効果があるとでも言うのか.
何しろ,これ以上の詳しい情報が何処にもないのである.
こういう報告のみである.

紅茶の薬理作用を押し出して紅茶の国の面目躍如を図っただけではないのかと勘ぐりをしてしまう.

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2006年8月29日

愛とまぐはひの古事記

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大塚ひかり著KKベストセラーズ刊

私が梅田旭屋書店本店で最もよく利用するのが6階の理工学書コーナーであるが,上から順繰りに階段で下り,必ず足を止めるのが歴史関係のコーナーである.
1年ほど前だったかに本書を手に取ったものの購入には至らなかった.
最近,思い出し,読みたくなったが書名が思い出せない.
ネット検索で我ながら大概恥ずかしい検索語で調べた末にようやくたどり着いた.その書名は標題の通りである.
もともと記紀神話には興味があって,講談社学術文庫の対訳付きのものやら,特に古事記で言うと梅原猛著の現代語訳やらを読んだが,本文中の歌が情熱的で美しいなどと書かれているものの,古典脳ではない私には全くピンと来なかった.
大抵の記紀の解説本は大学の文学者によるもので,素人にとっての情緒感に欠けていたように思っていた.
発行当時,平積みになっていたのを見たときはセンセーショナルだった.(と感じながらなぜその時購入に至らなかったのか自分でも謎である)

よく言われていることは,仏教的道徳観も儒教的道徳観も輸入されていない古墳時代くらいまでは,古来日本人は性に対しておおらかだったことが古事記から伺えるということである.
“まぐはひ”とは,本文中の説明を引用すると単に性行為を指すのではなく「目と目を合わせ,見つめ合い,愛の言葉を交わすことから始まり,愛撫挿入後戯といった性交全般を表しつつ,結婚まで含んだ幅広い意味をもつ言葉」であると書かれている.今で言う“エッチ”ではない.
そもそも私はエッチという言葉は嫌いである.なぜならば元は“変態”のローマ字表記頭文字から来ているからである.性行為を指すのであれば至って“通常”である.
などと考えていると,“まぐはひ”とは非常に好感の持てる言葉であると思えてくる.
男女とはこうあるべきと,この“まぐはひ”という言葉が表していると言えるかもしれない.

しかし,本書を読みすすめていくと,著者が現代に照らし合わせればこういうことであるという述べ方をしてくれている上に,とがしやすたか氏の2~4コマ漫画的挿絵のおかげで,生まれてくる子が男か女かを賭けの対象にしたり,おおらかというよりも自らの行為の結果に対してこんなに無責任で良いのか!?と思えるほどである.
最も端的なのは,アマテラスの孫,ニニギノミコトがイハナガヒメとコノハナサクヤヒメの姉妹のうち,ブサイクなイハナガヒメを追い返し,コノハナサクヤヒメとの“まぐはひ”の結果できた子を自分の子ではないと断定して同様に追い返してしまうことであろう.
現代ならば“サイテー”な男のそしりを甘受せざるを得ないような神が,初代天皇神武ことイワレヒコの曾祖父なのである.
なおかつ,イワレヒコの皇后の母は,溝を跨いで脱糞中に丹塗り矢に化けたオオモノヌシに陰部を突かれて後の神武の皇后を身ごもっている.
傑作なのは,妊んだが父親が誰か分からなければ“神の子”と片づけてしまうことである.おおらかを通り越して乱倫の極みとも思える.
書面によって法的に縛られるわけでもなければ,HIVの心配もない,ある意味では羨ましい時代ではあったのだろうが,古事記の編者と言われている太安万侶は,編纂作業をしていて恥ずかしいような照れくさいような感覚は無かったのだろうか.こんなことを思う事自体が,仏教的儒教的道徳観に毒されているということか.

経験学的恋愛・結婚論として古事記を捉えることもできるが,どちらにせよ古事記に書かれている事は,いわゆる貴き人々のことであって庶民を描いたわけではない.
ならば,暴論であるが,現代の天皇家もこの頃に戻れば,嗣子問題に悩まされずとも済むのではあるまいか.

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