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終戦記念日を前に

私自身の思想的立場は,政治的には中庸(民族的には右寄り)だと思うので両側の人々からは,あっちへフラフラ,こっちへフラフラな印象を持たれてしまうことは否めない.
ということを先にお断りしておく.

最近ようやく悟ったことなのであるが,
自分がある考えを持っているとして,自分の意に添った本を読んだり主張を聞いたりするのは心地良いので,それに身を委ね,持論を強化しようとするわけだが,それでは,養老孟司氏の言う「バカの壁」を高く分厚く積み上げていくだけに過ぎないので相手の言うことなんか聴こうともせずに互いに主張を強調しあうだけで終わってしまう.
私が小林よしのり著『いわゆるA級戦犯』は読みたいとは思っていても躊躇する理由はここにある.
非常にしんどく,苦痛を伴うことだが,むしろ,逆の考えに十分に耳を傾け,理解に努めなければならない.
もちろん,理解というのは自分にとって不合理と思われることを受け入れることではない.
相手の立場に立つことによってその論拠の欠点を具体的に認識できるのだ.それで揺らぐような持論は弱かったということに帰着する.
「朝まで生テレビ」は,討論会ではなく問題提起が目的のプロレスなので,視聴者はそれぞれの主張の応酬を楽しんでいれば良く,結論は求めてはいけない.
めいめいに大声で独り言を言うのが討論会であるわけがない.

矛盾点があろうが嫌いだろうがどうしようが,無理な戦争を継続してしまった国家の指導者には,極東軍事裁判で判決が下ってしまっているのだ.
名誉回復の件はあくまで日本国内だけの話である.外国が知ったことではない.
(朝日新聞の論は自虐史観による偽善,中韓朝に至っては国家規模のゆすりたかりでとしか思えないが)
昭和天皇のメモも今この時期に公表されたことは,何らかの政治的意図があることは疑う余地無しである.
ただ,現に昭和天皇も今上天皇も靖国神社に参拝していないので,内容は真実なのだろう.

現実を見通し,敗戦がなければ,負ける戦争さえしなければこんなことにはならなかった.ここに尽きるのではないだろうか.
当時から政治家・官僚・職業軍人の誰もが分かっていたはずである.
この責任は戦争犯罪が成立せずとも誰かが負うことは免れられなかったことだろう.
関西を中心に活躍しているナレーター(全国ネットではM-1グランプリ)畑中フーさんの意見には同感である.

もはや白州次郎のような傑物の出現は絶望しなければならないだろうか.
と書いているうちに件の本を読まなければという気になってきてしまった.

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2006年8月12日 19:51に投稿されたエントリーのページです。

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