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2006年1月 アーカイブ

2006年1月11日

もったいない

この単語がどうやら世界共通語として認識されそうな昨今であるが,元来,私は貧乏性なのでよく使う言葉である.

80年代に製造されたスピーカーのほとんどが同じ状態になってしまうという.
スピーカーエッジがウレタン製のために加水分解して劣化してしまうのだ.
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ちょうど3年前にコンポのスピーカーをDENON SC-A50に新調して,古いスピーカー(KENWOOD S-7VX)をどうしようかと思いながら3年過ぎた.
スコーカーとツイーターは健全なのである.
粗大ゴミとして処分してしまうのも一つであるが,ウーファーが25cm級というのが文字通り捨てがたく,何とか再生する方法が無いかと思って調べてみるとやはりあるではないか.

“スピーカーエッジ”でWEB検索すると相当数のヒットがあった.
大半がスピーカーエッジをセーム革に交換するというもの.
購入から18年を経ているのでメーカー修理は望めない.リペアショップのページもあったが,1本当たり2万円も修理代がかかってしまう.
修理キットもあるらしいが,仮に口径が合致しても1セット8千円以上である.SC-A50は1本1万2千円なのだ.あまりにも馬鹿らしすぎる.
S-7VXは幸いにもコーンが紙ではない.当時のカタログには多湿な日本の気候に左右されないように炭素繊維樹脂を採用と書かれていた(と思う).
ということは,古いエッジを剥がすのにさほど注意を要しない.
したがって,自分でエッジ貼り替えを挑戦してみる価値はありそうなのでこの連休を利用して実行してみた.
セーム革は自動車用品店で売っているもの(1500円),接着剤は合成ゴム系の透明なものを調達してきた.
作業にかかる前にMarcus Millerの『M2』を聴いておく.低音成分が腰抜けで,かつ,ひずむ.

もっとも手間がかかり,大変なのが古いエッジを除去する作業である.
もともとは発泡ゴムのような感じだったのに,触ってしまうとベトベトして黒い糊状になる.
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これをカッターナイフの刃の背と有機溶剤で剥がしていくのだが,半日を要した.
外径と糊代を考慮した輪状の型紙を作成して,セーム革を切り抜いてスピーカーエッジにする.
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後は塗り残しが無いように接着剤を塗布して貼り付けるだけである.
外周は表から貼って,エッジ部は裏から貼る.エッジに緩みや皺が生じないように軽く引っ張りながら圧着する.
見切りの輪をセットすると悪くないではないか.白っぽい輪が往年のアメ車のタイヤのよう.S-7VXとSC-AC50を並べると見ための迫力が全く違う.
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『M2』を皮切りにいくつかソフトを再生してみる.やはりSACDやDVD-Audioのソフトに修理の効果がてきめんに現れた.
若干低音が硬いようにも思ったが,タイトとも言える.
15年かかって劣化したものが急に新品になったので,同じスピーカーとは思えないほど良くなった.
購入したのが18年前なので,初期状態でどんな音だったかはもはや記憶にないが,もしかするとオリジナルの状態よりも良くなったのかも知れない.

最後になりましたが,スピーカーエッジ貼り替え記録をウェブで紹介されている諸氏に感謝を申し上げます.

2006年1月20日

写真機はどうなっていくのか

年が明けて,まず,ニコンがフラッグシップ機であるF6と入門機FM10だけを残して,事実上の銀塩フィルムカメラ撤退を発表した.
F6はともかく,FM10はFマウントを採用しているというだけでボディはコシナ製である.
残すのであれば,機械式カメラとして純度が高いFM3Aにすべきだったのでないだろうか.もはや風前の灯といわざるを得ない.
ニコンは数年前に機械式カメラの設計技術伝承と組立・修理技術維持のためにS3を復刻して気概を見せてくれたばかりであるのに.

また,コニカミノルタはカメラ事業から全面撤退を発表した.
コニカのフィルム,ミノルタのカメラが途絶えてしまうことになる.
コニカ(小西六)のフィルムはかつてサクラカラーのブランド名で有名だったし,1980年前後はAFコンパクトカメラ“ジャスピンコニカ”,また1990年前後には“HEXER”で高級コンパクトカメラあるいはレンジファインダーカメラ復権のブームを起こした.
ミノルタもロッコール・レンズとMF一眼レフXシリーズやAF一眼αシリーズでへヴィユーザーを持ち,高級コンパクトカメラの先駆け,ライツ・ミノルタでも名を馳せた.
αシステムはソニーに譲渡され,残っていくことになるが,ロッコール・レンズはどうなるのだろう.

インスタントカメラやAPSがデジタルに取って代わられ,移行していくのは無理からぬことだと思う(APSは何のために出てきたのだろうか?)が,大判,ブローニー判や35mmシステムは何としても残していってもらいたいものである.
ISO100の感度を持つ35mmフィルムをデジタル写真の解像度に換算すると1200万画素に相当するそうである.
エントリークラスのカメラでは,イニシャルコストもランニングコストもまだまだ追いつかないレベルである.

私はクラシックカメラのコレクターでもマニアではない(クラシックカメラの本を見るのは好きである)が,古いライカがデジタルカメラとして利用できたらクラシックカメラファンの人たちはどう思うだろうか?
何年か前のフォトキナのレポート記事で参考出品と言う形ではあるが,35mmフィルムのパトローネ形デジタルカメラエンジンが出品されていた.
既に,大判,中判カメラやライカR8/9にはデジタルバックというアタッチメントが出ているらしいが,非常に高価なものである.
WEBページをいろいろと見ていると『たのみこむ』でNikon F3用のデジタルバックをという提案もあったが,おそらく純正メーカーが作らないことにはどうにもならないだろう.
ならば,サードパーティでよいから35mmフィルムカメラならどれでも利用できるような一般化した汎用製品をと思うのだが,やはりレリーズと記録のシンクロナイズが困難なので無理なのだろうか.

Mamiya 6, Canon 7s, Nikon F3/NewFM2/F90X/F601を所有しているが,写真機そのものは健全なのに使えないという状態になることだけが心配である.
フィルムはなまものなので買いだめするわけにはいかないのだ.

2006年1月23日

愛の悪魔

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昨年後半は,聖飢魔IIが地球デビュー20周年の再集結ということで,ミサツアーのどの会場も満杯ですぐにチケット完売だったそうである.

勤め帰りに中古レコード店をのぞくと聖飢魔II解散後エース清水元長官がデビューしたユニットface to ace(相棒は元GRASS VALLEYの本田くらげ)のビデオクリップと中野サンプラザでのライヴを収録したDVD-Video『notescape』があったので購入した.
エース元長官といえば,聖飢魔II信者の中でも女性信者の人気を“愛の悪魔”として集めていた.
各構成員の発生日(誕生日)には信者は何かをするというものがあったが,エース・デイには,女性信者は好きな男性に自分のパンツを贈るということだった.

1stアルバムの『FACE TO FACE』は発表とほぼ同時に入手しているが,このようなビデオ作品があったのは知らなかった.
音楽性は聖飢魔IIとうってかわって,都会的で洗練されたポップで退廃的ですらあるAORやダンスナンバーが中心である.
ライヴパートは,聖飢魔II時代に個悪魔活動として発表した『TIME AXIS』の収録曲も演奏されていた.
ギターを持たずにハンドマイクで身軽に踊りながら歌うACEというのも意外だった.
エース清水のソロライヴではインカムでギターを持たずに踊っていたことは知っていたが,face to aceの音楽性は,まんま『TIME AXIS』の延長上にある.
聖飢魔IIの音楽性はHR/HMなので,ナチュラルトーンのカッティングは聴くことはできなかったが,ギターソロは紛れもなくエース清水のそれである.

元聖飢魔IIの構成員,ルーク篁,雷電湯澤は対極のにある暑苦しいハードロックをCANTAでやっている.
CANTAもface to aceもデビュー作はメジャーレーベルから発表したが,現在はインディーレーベルから作品を発表し続けている.
インターネットの普及も手伝って,さまざまなコストを省いて聴きたい者だけが聴ければ良いという,良い時代が来ているのかも知れない.

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