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2002年1月 アーカイブ

2002年1月 6日

郷土愛

まず,私の嫌いなタイプの人間は,

自分の生まれ育った土地を卑下あるいは否定するヤツ
偏った,歪んだ郷土愛が突出して自分の郷土以外の土地をけなすヤツ
地方をステレオ・タイプ化するヤツ
東京至上主義者

である.

東京で一人暮らししたこともあったが,東京だからといって特別にどうということも思っていない.
私は常に"住めば都"と考えているし,自分の河内弁混じりの大阪弁を薄めようとも思わない.
ただ,この言葉・表現は,東京の人にはわからないだろうな,と思ってわざと標準語的表現をすることはある.
ただし,これは,礼儀・気遣いの範疇に入ると思っている.

明治維新のときに,当初は遷都先が大阪であったことをご存知であろうか.
いざ,皇居を大阪城に遷そうというときに,混乱にのさなか大坂城が炎上し,急遽,それまで事実上の政治の中心地であった江戸=東京に遷されることになった.
偏った大阪至上主義者は「なんで,そのときに大阪に遷都せんかったんや」と考えるところであろうが,私はそうは思わない.
大阪平野は,関東平野に比べて山と海の距離が非常に短く,しかも,古来より街があった.
現在,東京で首都機能の行き詰まりが,浮かび上がっているが,もし,大阪に遷都されていたら,もっと早く行き詰まりが訪れていたであろう.

偏った大阪至上主義者は,東京に負けまい負けまいとしているのが見え見えになっているのが見苦しい.
よく取沙汰されるのが,うどんのだし.逆に言いたい「大阪の自慢はそれだけか?」
他地方も尊重してこそ,郷土愛ではなかろうか.

他地方の人が,カンサイ,カンサイとステレオ・タイプ化するのも腹立たしい.十把一絡げにするな,と.
有名な街だけでも,京都,大阪,神戸,奈良,....とあるわけであるし,
単に行政区画の大阪府と言っても,
摂津,大阪,河内,和泉
大きく4つに分かれるのである.
言葉がこのなかだけでもかなり大きく異なるのである.
河内弁は誤解されやすいことに日頃から忸怩たる思いを抱いているので特に例に挙げる.
河内弁ときいて,「ワレ,そやんけ」と連想するのは,大きな間違いである.
河内弁の特徴というのは,促音と撥音の多用である.
例えば,東大阪市北部に「加納」という地名がある.これは,「かんのぅ」と発音する.
同様に「昨日」という言葉は,「きんのぅ」と発音する.
また,「行きよる」→「行ッきょる」などとなる.
さらに,古語辞典に載っているような単語を使うことも多い.
これは,逆に蝸牛考の考えで行くと,言葉の成立は

畿内=上方=貴族文化の中心地

から同心円状に広がるということに他ならない.貴族文化への憧れから生じた流行語の伝播である.
そう,実は古語ではなく,成立を考えると最新の言葉である.
「下らない物」という言葉は,「上方から来たのではない物」という意味である.これは事実である.

所詮,標準語は,

山の手=会津藩屋敷が林立していた場所

の言葉を基本に作った,人工の日本語に過ぎないことが明らかである.
例えば,「~でやす」→「~です」

実は,東京ことば≠標準語である.
勘違いしてはいけない.


※蝸牛考については,松本修著『全国アホ・バカ分布考』を読まれると良い.
そう,『探偵!ナイトスクープ』を全国区に押し上げたテーマである.
柳田国男ですら,京都を中心とした5重円しか描けなかったのに,なんと,13重円も描けた民俗学的に非常に貴重な調査結果である.

2002年1月14日

砂糖なしでは喫めない珈琲

 私と喫茶店などに一緒に入った方はご存知であろうが,珈琲紅茶問わず,砂糖は入れずに楽しむことにしている.
ミュンヒやランブルの非常に濃い珈琲すらブラックで通してしまう.
 家で本物のカカオパウダーを使ったココアを淹れるときにさえ,砂糖は使用しない.
そんな私がかつて,砂糖なしでは喫むことができなかった珈琲があった.

 大阪は心斎橋より東へ二筋行った相合橋筋にある「丸福」という店である.
大阪では,一,二を争う歴史の老舗である.
日本の大衆珈琲黎明期にできた店なので,砂糖とミルクをたっぷり入れて楽しむのが正しい楽しみ方なのである.

 ところが偶然入ったときは私が珈琲に凝り始めたころで,イキがって無理してブラックで喫むようにしていた.
この店は,普通の喫茶店のようにシュガーポットが各テーブルにあるわけではない.
丸福の珈琲は最初から角砂糖が2個ついてくるのである.
 最初はそれを無用と思っていたが,苦いことまるで炭汁のようで喫するものではなく,一個入れてみた.
しかし,まだ喫めない.結局2個入れて,さらにミルク(フレッシュクリームではない)も入れないと喫めなかった.

 十年以上も前の話で,今は私の口が苦味に耐えられるようになっているか,
店がブラックで喫めるように味を変えているかどうか,というとなんともいえないが,
やはり,意地は張らずに素直に店の意図に従うほうがおいしく楽しめる.

2002年1月17日

やっぱりオリジナル

 シンガーソングライターと呼ばれるミュージシャンは自作自演のほかに時として,
作曲家-作詞家として他の歌手に曲を提供することがしばしばある.

 そしてよく行われるのが,その提供した歌手に遅れて自ら行う逆カバーである.
で,これまたその方がよい場合が多いような気がする.

例をあげると
「セクシー・ユー」(郷ひろみ) →「モンロー・ウォーク」(南佳孝)
「けんかをやめて」(河合奈保子)→「同」(竹内まりや)
「セーラー服と機関銃」(薬師丸ひろこ)→「夢の途中」(来生たかお)
などなど….

 結局,自分の声質に合った曲を書いてしまったり,持っている情緒が滲み出るのか,
作曲者自ら歌うほうが世界観が明確なような気がする.

 ただ,個人的な好みに過ぎないかもしれないが逆のケースが若干ある.
松任谷由実のペンによる「まちぶせ」(石川ひとみ).
後にユーミン自らも歌っているが,彼女の歌い方は,どうも表情が感じられず,
逆に石川ひとみの声,唱法ともに,とても日本のポップス的情緒にあふれているように感じられてならない.

 しかし,オリジナルであっても超えられないほど自分の世界を持った歌手がいた.

美空ひばり と 山口百恵 である.

 美空ひばりは言うまでもなく,昭和歌謡史の金字塔である.
我々の年代以下の年齢層では,演歌の印象が非常に強いが,彼女ほど様々なリズム形態で歌え,
幅広い音楽性を持ち合わせた人はいなかった.
 ある音楽評論家が,「美空ひばりは日本のデヴィッド・ボウイだ」と評したのを別の音楽評論家が
「デヴィッド・ボウイがイギリスの美空ひばりである」と反論したことがあった.
「愛燦燦」は,見事に小椋桂の世界を取り込んでしまっていた.

 山口百恵にはかなり多くのニューミュージックやロックのミュージシャンが曲を書いている.
「ロックンロール・ウィドウ」では宇崎竜童,「秋桜」ではさだまさしの曲をその強力な個性で自分のものにしていた.
「いい日旅立ち」は,作詞作曲を依頼された谷村新司が,苦心惨憺した挙句仕上げたものの
自身では,イマイチと思ったが,取り敢えず聴かせてみようと電話口でギターで弾き語りをした.
「すごくいいと思います!」との反応に掌を返したように「…でしょう!?」と
思わず賛同してしまったのは有名な逸話である.
 後に国鉄の同名のキャンペーンソングとして大ヒットしたのは,言うまでもないだろう.
私は谷村新司が歌ったバージョンも好きであるが,やはりこの曲は山口百恵だろうと思う.
 “横須賀 恵”のペンネームで作家としても活躍していたので文学的表現力に長けていたのだろう.

 ただ,同じ谷村新司の「昴」は美空ひばりが歌っても,決して頭の中に中国大陸の大平原の光景が広がることはなかったが,
この確固たる日本人的情緒による彼女の歌の世界が戦後の復興の礎の一端を担ったのかも知れない.

2002年1月19日

怒怒怒

 渋谷の東急ハンズに行った.
台所用品のフロアで3万円と高価な焙煎から抽出まで一貫でできるコーヒーメーカーのデモをやっていた.
いつもの"偵察"として試飲してみた.
当然ながら,感想を求められるが,嘘でも「美味しい」とでも言って置けばよかったのだが,
率直に
「一口目はいいけど,それ以降がねえ....」
と言ってしまった.嗚呼,後悔先に立たず.
こともあろうに言うに事欠いてデモのおっさんが口にした言葉が,「それはコーヒーのほんとの味を知らないんだよ.」
それでカチン-☆とキたが所詮は実演販売のデモンストレーターに過ぎないおっさんに言われたことにムキになっては『喧喧囂囂-Rock'n Cafe-』の主宰者=KenGO!の名が廃る.
「そういう風に言われるとムカッとするんやけど....確かに普通のコーヒーメーカーよりは格段にいいけど,細かいこと言うといろいろとね.」
と,おっさんをキッと睨み付けてムカッ腹を抑え込みつつ,低く冷たく言い捨ててその場を後にした.
珈琲について語りだすと,長くなって面倒なことになるのが自分で重々わかっていたからである.

 いつも機会があれば述べているように,二口,三口と進めていくにつれて苦味に慣れて,甘味が出てくるのが良い珈琲である.嫌味が出てくるなどは,評価にも値しない.

実際には腹わたは煮え繰り返っていたのである.どういうことを考えていたかと言うと,

「誰に向こうて言うとんじゃ,ボケ!鼻輪通して紐で銀座まで引き摺っていって,ランブルのマスターに向かって同じこと言わしたろか,カスがッ!!」

という非常に上品で格調高い,やんごとなきセリフが喉元まで上がってきていたのである.

 一般層の珈琲に対する意識の低さとはこんなもんかと改めて思い知らされた出来事である.SBが流行るのも無理からぬことかもしれない.
 当サイトを御覧の皆様方には,SBのキャラメルモカやラテが美味しいと思っていてもらっても一向に構わないが,ベースは低級な焦げ豆のダシの炭汁に過ぎないことは重々,意識しておいて頂きたいものである.

2002年1月26日

真に美味いもの

 グルメブームといわれるようになり,さらに定着してしまってから久しい.
 真に美味なる物とは,決してたまに食する高級なものではないと考えている.
私の考える真に美味なるもの,旨いものとは,例えば,“白いご飯”,例えば“お茶”である.

 具体例を挙げてみる.臨時収入か何かで,少しグレードの高い米を買う.しばらく毎日の食事にそれを炊いて続けて食べることになる.
しかし,ほんの少し高価だからと言って,それほど顕著に差は生じるようには思えないので,次にはまたそれまで買っていた米に戻す.
が,不思議なことに従前の米がまったく旨くない米だったことに初めて気づく.不味いものには戻れないのである.

 もう一例,ラーメンや何かでどこどこの店が旨いと情報を得て,訪れて食べてみる.確かに旨い.
近いうちにまた食べようと思い,実際に再訪して同じ物を注文する.
しかし,感激が無い.「こんな程度だったか?」と,落胆してしまう.
単に口に珍しいだけで,本当に旨いわけではないのである.

 旨いものほど,常々気づきにくく従前に戻ったときに初めて気づく,あるいは,突出した味ではなくこの上なく日常的なものにほど多く潜んでいる.

 私は“真に旨いもの”とはこんなものではないかと,珈琲を追求するようになって強く感じるようになった.
普段から良いもの(値段とは別)を口にする機会が増えたからこそ,巷に溢れる同種のものに関して敏感で評価は厳しくなってしまう.

 良いものには慣れることはあっても決して飽きることは無い.

 私が名店紹介に挙げる店を一度訪れただけで,「これが美味いのか?」とだけは決して思わないでいただきたい.
それは,一般の珈琲に戻ったときに気づくことかも知れないし,珈琲そのものがあなたに合わないだけかもしれない.
珈琲やお茶などはそんなものである.

 こういったことは何も食べ物に限ったことではないと思うが,いかがだろう.

 ちなみに,実家では高級な日本茶を喫むことも多いが,独りでいるときは,焙じ茶や玄米茶である.
安くて,どれを取ってもそんなにハズレが無いからである.
ただし,抹茶入りの玄米茶だけは絶対に避ける.茶葉そのものの出が悪いから抹茶でごまかしてあるだけである.

2002年1月29日

自動化,デジタル化に対する疑念

 機材倉庫に日本が誇るNikonの時のフラッグシップ機F3を置いていながら,写真の事にはこれまでまったく触れてこなかったことに気づいた.

 機材倉庫を御覧になってわかるように,私はマニュアルフォーカス派である.しかもフルメカニカルならそれに越したことは無い.
だいたい,高級一眼レフに全自動機能など必要なのか?と常々思っている.高級一眼レフの自動機能など複雑過ぎて使えたものではない.

 露出を自分であわせるのが難しいと仰せの御仁は,数多いるが,とんでもない勘違いである.
露出など,シャッタースピードと絞りの組み合わせにしか過ぎないのに,それを○×モードと称して何種類も用意して.
取り扱い説明書が分厚くなるだけである.操作系を覚えるだけで骨である.しかも全機能使うわけではない.
MFカメラの取説のシンプルなこと.しかもMFカメラは,一機種使えればメーカー共通,万国共通である.
扱いがシンプルなだけに慣れも早い.慣れれば,体の一部であり,実際には自動で焦点合わせ,露出合わせするよりもかえって早くなる.
しかもAFカメラというのはレリーズボタンを押してから,シャッター幕が走り出すまでの時間差がかなり大きい.
デジタルカメラなど,さらにそれが顕著である.
 それにデジタルカメラの画素数競争.これも馬鹿らしい.銀塩フィルムに追いつこうとしているに過ぎない.
鮮明で描写のいい写真をとりたければ,銀塩フィルムを使えばそれで事足りるではないか.

 とは言いながら,自動の恩恵を享受しているのも確かである.
自動露出も絞り優先は,撮影意図が反映されやすいので重宝する.
デジタルカメラのメリット,手軽さは十分認める.当サイトの説明写真も全てデジタルカメラで撮影したものである.
 しかし,それ以上でもそれ以下でもない.
いくら,自動化が進もうとも,撮影者の意図を電算チップが汲み取るわけはないし,デジタルが銀塩フィルムに取って代わることもありえない.
映画用の35mmフィルムがスティルカメラ用のフィルムとして使用されるようになってところで,乾板もブローニー版もなくならなかったように.

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