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2002年2月 アーカイブ

2002年2月 2日

求道者

正月休みにミュンヒに珈琲を何ヶ月ぶりかに喫みに行ったときの話.

当サイトの前身である,「kengoの珈琲講座」が居候していた,bandman no heyaの管理人である,ばんどまん師と初めて一緒に行った.
カウンタには,高価なマイセンの棗が置いてあり,マスターがそこに入れて願をかけた年末ジャンボ宝くじが,一等と一違いだったそうである.組も違うから実際には何の賞もないが.
そこでマスターが嬉しそうに夢を語る独壇場となるのである.

実はかなり長い話だったのであるが,要旨をまとめると,こうである.

一億円当たったら,ミナミの一等地,特にスターバックスの隣で,高級なエスプレッソ豆を使った珈琲を300円くらいで売りたい.

店の改装費用・賃料,従業員の人件費,などもろもろ併せて,儲からなくてもいい,一年ぐらいやってみたいと言うのである.

とにかく,ほんまもんの珈琲を提供してみたい.


マスターを支持したいではないか.

2002年2月 5日

いまさら

 元・聖飢魔IIのリズムセクション,"ライデン湯沢"こと雷電湯澤と"ゼノン石川"こと石川俊介,サポートキーボーディストだった"怪人マツザキ様"こと松崎雄一によるフュージョンユニット"RX"が気に入ってしまい,聖飢魔IIを改めて聴いている.
聖飢魔IIといえば,「蝋人形の館」「STAINLESS NIGHT」「白い奇蹟」くらいしかご存じないかもしれない.
私もこれまで"極悪集大成教典":『WORST』などは聴いていたが,どちらかというと好き,程度だった.
ところがRXを気に入ったので,ちょっとオリジナルアルバムを聴き返してみようと思い,
『THE OUTER MISSION』を中古店で求めた.
お気に入りの曲も収録されていたし,元レベッカの土橋安騎夫プロデュースという変り種でもあった.

キャッチーなメロディ,スケールの大きなノリのいいミディアムテンポのシングル曲「THE WINNER!」「LUNATIC PARTY」聖飢魔II流のファンク・ナンバー「LOVE FLIGHT」,ゴジラの咆哮がSEに入った「害獣(けもの)達の墓場」などがあるが,秀逸なのは,ギターソロで8小節ずつJAZZYな4ビートとパワフルなハードロックの速弾きが交錯する「RATSBANE」である.
ギタリストはルーク篁,エース清水の二人居るが,リズムセクションは一組である.8小節ずつリズム形態が切り替わるというのは大変である.
それに大へヴィメタル・ナンバー「不思議な第3惑星」.
よく,英詞で何かの拍子におポンチな日本語に聞こえて笑ってしまうことがあるが,一曲まるまる意図的に作詞している.
1コーラスだけ紹介する.

Want some beat? Want some beat?
Talk at a sheep,shall (the) bull leads to care~
Wants some beat? Want some beat?
Talk at sheep,Know me! Come in!
All I know.Oh,soon she needs,want some beat. Oh,tap your lead!
Hanna needs going to keep the...Oh,gutar! More damn it!

訳詞として付いているのが

ビートが欲しいだろう ビートが欲しいだろう
信者に語りかけよ 神の教書は加護に導くかい?
ビートが欲しいだろう ビートが欲しいだろう
信者に語りかけよ 私を知れ 私の元に入れ
私は全知である 彼女は遅かれ早かれ ビートを欲し必要とする さあリードを弾け
聖ハンナは...おお,ギターを持つことを必要としている 何ということだ....

これが実際にはどう聞こえるかというと,

ワサビ!ワサビ!唐辛子しゃぶりつけ!
ワサビ!ワサビ!唐辛子飲み込め!
俺のお寿司に,ワサビをたっぷり
鼻にスコーンと来た!おお,来た!もお,ダメ・・・!

コレがあと2パターンつづくのである.大したものである.

2002年2月 9日

両極端

 私が高校生の頃,バンドブームの直前で,ビート系がチャートをにぎわすようになり,その兆しは見えかけていた.

 その頃は,バンドはやっていなかったが,国内ものでは,鈴木賢司やヴァウ・ワウあるいはフュージョン系,
海外物でもヴァン・ヘイレンやナイト・レンジャーといった,非常に演奏の難度の高い物を好んで聴き,ギターを弾いていた.
国の内外を問わず,かなりテクニカルなものを好んでいたのである.

 周りでも自分も含めて楽器を弾くヤツがかなりいた.しかし,コレが両極端なのである.
国内のバンドをコピーするヤツ等は,ボウイやバービーボーイズなどのテクニックをさほど要しないものをコピーし,
海外のバンドをコピーするヤツ等は,イングヴェイ・マルムスティーンやレーサーXなど相当に難度の高いものをコピーしていた.
逆に国内ものでラウドネスやカシオペアといったハイ・テクニックを要するアーティストをコピーするヤツは居なかったし,
海外もののビート・バンドをやるヤツはいなかった.

 この現象は何だったのだろうか?カラオケと共通するように思えてならない.
国内に限るが,ここ何年かというもの,カラオケで歌いやすい曲ばかりヒットする.
素人に歌いやすい曲をプロフェッショナルの歌い手が歌ってプロのプロたる所以はどこへ行った?
ただ,手本,いや,形を供しているだけではないのか.
レコード会社もそんな売り方が消耗を早めるだけですぐに行き詰まりが生じてタマ切れになることに気づかないのだろうか.
昔は,ポップ・シングルと言えどももっとインターバルが長かったはずなのだが.
プロならば,
「お前らには,こんな難しいことは出来んだろ,悔しかったらやってみ?」
という気概を作品の中で主張してほしいものである.
これは,巷に溢れる凡百の珈琲店の店主にもまったく同様のことを言いたい.

2002年2月17日

かうんたー席ノススメ

 浜離宮恩賜庭園見学の帰り,最寄り駅は新橋なので「カフェ・ド・ランブル」で珈琲を一服.
例によってカウンター席に陣取り,“カフェ・ノアール”をダブルで.

 後から入ってきた客がカウンター席に座り,今までと少し変わったものを喫んでみたいと相談していた.
そのうち抽出温度にまで話が及んだ.
「ポットでは90℃くらい.細く滴下するので,さらに下がって豆に触れる時点では85~86℃くらい」
お分かりだろうか.UCCが推奨している90℃では温度が高すぎるのである.
ただし,高温が悪いわけではなく,苦味を強めたい場合には高温で抽出すればよい.
一元的な湯温ではなく,喫み方に応じた温度を選ぶのが肝要.

 珈琲を淹れるのを見るだけでなく,様々なヒントを得ることが出来るのがカウンター席である.

2002年2月23日

ELECTRIC GUITAR

 機材倉庫を見ていただいて分かるように,私の好みのエレクトリックギターは,フェンダーを基本としたギターである.
エレクトリックギターに興味を持ったときに,たまたま,好きだったギタリスト(エディ ヴァン ヘイレン,ブラッド ギルズ,鈴木賢司,佐橋佳幸,安藤まさひろ...)がそろってストラト系を弾いていたからに過ぎない.
 最後の決め手はエリック クラプトンである.60年代にクラプトンのファンになっていたら,ギブソン派だったかも知れないが,
約40年のキャリアの中で70年代初めから現在までなので,なによりストラトを使用している期間のほうが圧倒的に長いのだ.

 フェンダー系のギターの魅力というのは分解できることである.私はギターを購入すると必ず帰宅して一番に分解する.
そうやって,ギターの機構を理解しつつネックの角度,個々のサドル高にいたるまで自分の気に入ったように調整していくのだ.
特にフェンダー系は可動部品が多い.
楽器としてよりもおもちゃの感覚が強いのかも知れない.トレモロ・アームが好きなのだ.
クラプトン以外の好きなギタリストはほとんどがアームの使い手である.

 レス・ポールやSGといったギブソン系ではこうはいかない.
ギターとしてカッチリまとまりすぎていて,いじる気が起きないのである.
ネック接合がセットネックで接着してあるので,角度は変わらないし,ギターによっては全く調整の余地が無い.

 他にもオリジナリティに溢れた,ダン・エレクトロやリッケンバッカー,グレッチなどがあるが,華奢な印象しかなく,私の趣味ではない.
リッケンバッカーで私のようにアームユニットを激しく動かしたら,ギターが簡単に壊れる.それにジョン レノンの印象であるのもいただけない.

 数年前に,鮎川誠氏が「DOS/Vブルース」という著作を発表した.
鮎川誠といえば,黒のレス・ポール・カスタムをトレードマークとしためんたいロックの旗手"シーナ&ロケッツ"のギタリストである.
パソコンのイメージとはかなり縁遠い.
この著作は未読で申し訳ないが,ギター雑誌での紹介によると彼の印象では「DOS/V=ギブソン,Mac=フェンダー」だそうである.
私の考えとは全く逆である.

 私のオリジナル・ストラトを見て頂くだけでも少しは理解できると思うが,
フェンダーのギターはかなり自由なカスタマイズが可能でオリジナルと程遠い印象のギターが多く存在する.
フェンダー・カスタム・ショップによる"公認"改造アーティストモデルも多い.
外見上の違いは無くても電気的に全く異なる大胆な改造もキャビティが大きくあいているので可能である.
反してギブソンのギターを派手に改造した人はあまり見かけない.せいぜい外見上影響を与えない部品の交換程度にとどまってしまう.
外見を変えることが心情的に出来ないギターなのである.

 PCは自作といえばDOS/Vマシンであり,複数のOSも搭載可能であるが,Macは自作はおろか改造も不可に近く,専用のMacOSしか搭載できない.
やはり「DOS/V=フェンダー」「Mac=ギブソン」であり,誤解を恐れずに言うならば,DOS/V=理系,Mac=文系という印象もある.

 工作と,自分なりの調整が大好きな私としては,ギターはフェンダー系,PCはDOS/Vマシンである.

注)
本来DOS/Vマシンという呼び方は正しくなく,IBM PC-AT互換機と呼ぶのが正しいはずであるが,この呼び方もISAバスが事実上なくなったので必ずしも正しくない.
最近はOADGという規格も耳にしなくなった.DOS/V自体ももはや単独では存在しないので誤りなのであるが通りが良いので便宜上使用している.

Macintoshに搭載できるOSも実際にはMacOSだけでなく,MK LinuxなどのPC UNIXも搭載可能であるが,MacでLinuxを搭載してフル稼働させているという話はあまり聞かない.

2002年2月24日

印象深いコンサート

 当サイトを含め,いろんなところでフェイバリット・アーティストはエリック クラプトンだと言っているが,
実は,コンサートは一度しか行けていない.もう,10年以上前にもなってしまう,「Journey Man Tour」である.
日本ツアー,大阪では大阪城ホールで催された.
 電話予約開始日,なかなかチケットが確保できず,ようやく電話が繋がったと思ったら,立見席しか残っていなかった.
仕方が無い,立見だから行かないなんて,次はいつになるか…,そのまま予約した.
周辺の友人にクラプトン・ファンはおろか洋ロックファンも居ない.当時付き合っていた女の子を誘うことも出来なかった.
 コンサート当日,立見は席が決まっていないので開場時間に先立つこと1時間半前に大阪城ホールの立見席客用入り口にいた.
近くに居た人と少々マニアックな音楽談義をしながら待っていたのでさほど退屈はしなかった.
いざ,開場時間が近づくと,イベンターから何か告知があるようだ.
会場を設営してみたら,ステージ横に余分にS席が出来てしまった.千円足せば,S席になる,というのである.
迷わず,千円足した.立見席は三階席の一番後ろになってしまうのである.S席にしたほうが得策と思えた.
会場に入ってみると,ホントにステージの真横である.
が,開演時間になり,客電が落ち,幕も落ちてエリック クラプトン&ヒズ・バンドが現れると,あることに気付いた.
コンサート会場はピンスポットの光条を見せるためにスモークを焚いている.
それがステージの真横だと,ピンスポットの光条がまともに見える.
そのときは,クラプトンのギターにスポットライトが反射する光条も見えるのである.非常に幻想的だった.
場所的には音のバランスは最悪かも知れないが,その場では臨場感が味わえればそれでOKなのである.

 BLIND FAITHがオリジナルの「Can't find my way home」をベースのネイザン イーストがアップライト・ベースを弾きながら
歌ったのも印象的だった.

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