« 砂糖なしでは喫めない珈琲 | メイン | 怒怒怒 »

やっぱりオリジナル

 シンガーソングライターと呼ばれるミュージシャンは自作自演のほかに時として,
作曲家-作詞家として他の歌手に曲を提供することがしばしばある.

 そしてよく行われるのが,その提供した歌手に遅れて自ら行う逆カバーである.
で,これまたその方がよい場合が多いような気がする.

例をあげると
「セクシー・ユー」(郷ひろみ) →「モンロー・ウォーク」(南佳孝)
「けんかをやめて」(河合奈保子)→「同」(竹内まりや)
「セーラー服と機関銃」(薬師丸ひろこ)→「夢の途中」(来生たかお)
などなど….

 結局,自分の声質に合った曲を書いてしまったり,持っている情緒が滲み出るのか,
作曲者自ら歌うほうが世界観が明確なような気がする.

 ただ,個人的な好みに過ぎないかもしれないが逆のケースが若干ある.
松任谷由実のペンによる「まちぶせ」(石川ひとみ).
後にユーミン自らも歌っているが,彼女の歌い方は,どうも表情が感じられず,
逆に石川ひとみの声,唱法ともに,とても日本のポップス的情緒にあふれているように感じられてならない.

 しかし,オリジナルであっても超えられないほど自分の世界を持った歌手がいた.

美空ひばり と 山口百恵 である.

 美空ひばりは言うまでもなく,昭和歌謡史の金字塔である.
我々の年代以下の年齢層では,演歌の印象が非常に強いが,彼女ほど様々なリズム形態で歌え,
幅広い音楽性を持ち合わせた人はいなかった.
 ある音楽評論家が,「美空ひばりは日本のデヴィッド・ボウイだ」と評したのを別の音楽評論家が
「デヴィッド・ボウイがイギリスの美空ひばりである」と反論したことがあった.
「愛燦燦」は,見事に小椋桂の世界を取り込んでしまっていた.

 山口百恵にはかなり多くのニューミュージックやロックのミュージシャンが曲を書いている.
「ロックンロール・ウィドウ」では宇崎竜童,「秋桜」ではさだまさしの曲をその強力な個性で自分のものにしていた.
「いい日旅立ち」は,作詞作曲を依頼された谷村新司が,苦心惨憺した挙句仕上げたものの
自身では,イマイチと思ったが,取り敢えず聴かせてみようと電話口でギターで弾き語りをした.
「すごくいいと思います!」との反応に掌を返したように「…でしょう!?」と
思わず賛同してしまったのは有名な逸話である.
 後に国鉄の同名のキャンペーンソングとして大ヒットしたのは,言うまでもないだろう.
私は谷村新司が歌ったバージョンも好きであるが,やはりこの曲は山口百恵だろうと思う.
 “横須賀 恵”のペンネームで作家としても活躍していたので文学的表現力に長けていたのだろう.

 ただ,同じ谷村新司の「昴」は美空ひばりが歌っても,決して頭の中に中国大陸の大平原の光景が広がることはなかったが,
この確固たる日本人的情緒による彼女の歌の世界が戦後の復興の礎の一端を担ったのかも知れない.

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://kenkengogo.s15.xrea.com/x/mt5/mt-tb.cgi/10

コメントを投稿

About

2002年1月17日 23:11に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「砂糖なしでは喫めない珈琲」です。

次の投稿は「怒怒怒」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.