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2005年6月 アーカイブ

2005年6月 1日

私のスタンス

今まで,あまりかつての「つれづれ臭」やこのブログには,政治の話やイデオロギーについては意図的に書いてこなかった.
興味がないのではなく,かなり興味があって議論し始めると止まらないくらいなのだが,わざと避けてきたのである.
しかし,一度,自分でも自らのスタンスを整理し再確認するために文章の形に書いておきたいと思う.

まず,私は広義で言うと右翼だと思う.
天皇崇拝ということで言うとかなり希薄だとは思うが,民族主義的思想は間違いなく持っていると思う.
“愛国心”というと大上段に構えすぎだし,意味合いがかなり異なってしまうのであるが,自分が日本人であることについては大切に思いたいのである.
これは,かねてから主張してきたが郷土愛と同根である.
人類平等の名の下に共産主義者が自国の伝統文化を否定し禁止するのはもってのほかだと考える.
誤解を恐れずに言うならば,間違いなく「日本は神の国」である.
アメリカ合衆国のような移民から成立した国は別として,国の成立過程の神話が存在する国はすべて神の国であると言える.

次に私は改憲論者である.
日米安保に反対する政党が,なぜ,第二次大戦後に日本を占領していたGHQが作成した憲法を守ろうとするのかが理解できなかったが,それが最近になってようやく分かった.
しかも,第九条だけを頑なに,なぜことさらに守ろうとするのか.
日本を占領下に置いていた頃は,合衆国もレッドパーチ以前だったので共産主義者がたくさんいた.GHQもご多分に漏れず,である.
そのGHQの中の共産主義勢力が起案したのが日本国憲法だったのである.だからアメリカ人が作ったにもかかわらず,そのことを現在の合衆国国民は知らない.
要するに,親分が作ったモノを子分が守っているだけである.財閥解体や農地改革で花を持たせてもらった恩義もあるのかも知れない.
日米安保は,レッドパーチ以後なので共産主義者を駆逐した敵しか残っていないのが合衆国の姿であるという認識なので反対していただけである.
自衛隊は,間違いなく軍備である.そして,現状では絶対に違憲の存在である.しかし,誰もが必要であるとは感じているだろう.
必要だと思うならば,存在を認めなければならない.存在を認めるためには,改憲するしかない.
領空侵犯,領海侵犯した他国の航空機や船舶を追い払うポーズしかできないのは,情けない話である.
誰だって泥棒に入られたら,話し合いでお引き取り願うなど馬鹿げたことはしないで撃退するのが普通だろう.
泥棒に対して話し合いを持ちかけたり,被害にあった後に警察に通報することしかできないという,憲法第九条が足かせになっている今の状態なのである.

戦後問題についての認識
もともと激烈を極めた日露戦争における戦死者を祀るために創設された靖国神社を,帝国憲法に代わる信教の自由を謳った現行憲法下においても流用しようとするのが間違いである.
なぜ,周辺諸外国が不快感を示すのかという理由が場合によっては明らかに言われ始めたのもここ5~6年のことである.
A級戦犯が合祀されているなどとは,それ以前にはどこの報道機関も通常のニュースでは言ってこなかった.
報道されるのは,国会議員や閣僚が参拝したということと周辺諸外国が抗議しているということばかり.
裁き方に問題があったにせよ,戦争犯罪者として断罪された者を神としているような形をとっていることが問題にされているはずなのに,それに対する説明が全くない.
戦犯合祀を無いことにして話すものだから,周辺諸外国ともまったく話がかみ合わないし,日本国民も騙されたままである.
だから,かつて「型式」と題して書いたときの結びのように“臭いものに蓋”で“片手落ち”だというのである.
しかし,自国民を戦車で轢き殺したり,少数民族を弾圧する政府を持つ国に,誇張した被害を60年以上経ってもなお申告して欲しくはない.

ただ,南京大虐殺や従軍慰安婦問題については,よく分からない.結論が見いだせないのである.
父親(1939年生)が幼少の頃に,大陸から復員してきた近所の人々が自慢話で何人殺ったとか犯ったとか話しているのを実際に耳にしたというのである.
それを言われると,書物から知識を得た私には反論のしようがない.
原子爆弾という新兵器をもって30万人を死に至らしめることがようやく可能だったのに,人力で40万人を殺すことは不可能であるという反論は空を切ってしまう.
ことの大小ではない.これだけは歯がゆい.
いつになったら,歴史学的に決着するのだろうか.
いつまでも中華思想に囚われた国にとって,日華事変もあくまで“倭寇”の一環であるという認識で,日本とは,いつまで経っても“倭国”なのだろう.
“東夷の倭人”ごときに蹂躙されたという屈辱と,倭人の主張など聞くに値しないという嘲りを政治に利用しているとしか思えない.

2005年6月 3日

滑稽な組合せ

ちょっとした健診のつもりで,3~6ヶ月ごとに献血に行っている.
世の中の役に立とうなどと大それたおこがましいことは,全く考えてはいない.
採血の前に血圧測定(血圧はやや低め)があるし,1~2週間程度で血液検査の結果が届くからである.
献血ルームであろうと移動献血車であろうと毎回記念品がもらえる.
以前は,テレフォンカードやスルットKANSAI(関西私鉄共通プリペイドカード)だったが,
有価証券類を記念品にすることは売血につながるということでこれらは数年前に廃止されている.
それらに代わるものとして登場したものが
・歯磨きセット(歯周病予防デンタルリンスと歯ブラシ)
・クッキー・セット
・キャンディー・セット
この3点から一つ選ぶのである.
なかなか,洒落が効いていると思う.
クッキーとキャンディーのどちらかを選ぶのは,まあ,いい.
そこに一つだけ歯磨きセットが混じっているのが皮肉でよい.

2005年6月 7日

やっと終わった

香味焙煎を消費して空になった.
やっとマキシムに戻れる.
風味が全然違う.
マキシムのほうが口当たりが濃厚でコーヒー(のようなもの)を飲んでるという実感がある.

しかし,このブログは一体どのくらいの人が読んでいるのだろうか.

2005年6月10日

ベストなタイミング

夏である.珈琲は水出しである.
今年もターキッシュ・ダッチ(我流なので正しい名称は分からない;低温浸出法)で珈琲を楽しみ始めた.
とりあえず,珈琲豆も比較的喫みやすいものが見つかったし,安定して美味しい珈琲ができると安心していたが,
舌が肥えてくるというのは恐ろしいもので,段々と雑味が目立つようになってきた.
(昼間,職場ではインスタントコーヒーで満足しているクセに困ったものである)
やっぱりこの豆も駄目なのかと思っていたが,あるとき,何も考えずに何となくドリップでホットを淹れてみたら美味しかった.
ということは,豆は悪くない.

少し考えてみた.

問題は抽出時間であろうと推察した.
冷蔵庫内で低温抽出するので少々長時間となっても良いだろうと,夜寝る前に豆を挽き,水を浸けておいて朝に濾すということをしていた.
初めのうちはそれで美味しく喫んでいた.しかし,前述の通りである.
そこで段階的に抽出時間を短くしてみた.

3時間:まだ駄目
1時間:良くなった
30分:もの足りず
45分:良い

やはり,低温抽出といえども長時間浸けっぱなしだと雑味が出てしまう.
45分~1時間程度がベストなようである.
こういうことは実践あるのみで,特にこの抽出法については我流なのでどの本にも記されていない.
完全にトライ&エラーである.
ただし,闇雲に試すのではなく原因を推測してつぶしていくことが肝要である.

2005年6月14日

悪魔再集結

seikima-2.jpg
6/2の発表で聖飢魔IIが地球デビュー20周年ということで今年後半に再結成されるというニュースが流れた.
1999年(魔暦元年)末をもって解散しているので6年ぶりの集結となる.
2ndアルバム「THE END OF THE CENTURY」の歌詞に
なるものにえている悪II(再)び甦る
とあったが,みたび甦ったわけである.
聖飢魔IIは私が中学生頃に『聖飢魔II~悪魔が来たりてヘヴィメタる』でデビューしている.
カルト宗教とヘヴィメタルをデフォルメ,パロディ化したのである.
初めて見たときには,KISSの日本版かと思った(エース清水は,まるきりAce Frehley である).
当時から1999年をもって解散すると言い切っていたが,私はハードロック/ヘヴィメタルに全く興味を持っていなかったので,
正直,「あと14年ももつのか?」と冷ややかに見ていた.
イロモノ・ヘビメタバンドとしか見ていなかったのである.
少し見方が変わり始めたのが,ベーシストがゾッド星島からゼノン石川に交代したときである.
ゾッド星島がピック弾きだったのに対し,ゼノン石川は指で弾いており,時にはスラップもやっていた.
HR/HMでスラップ・ベースというのはほとんどないに等しかったので非常に新鮮だった.
次にギタリストの一名がジェイル大橋からSgt.ルーク篁三世に交代した.二名とも共通して速弾きギタリストである.
そのうち私自身もHR/HMにも興味が出てきて聖飢魔IIというバンドの上手さ,面白さに惹かれていった.
どうもその頃から,それぞれのキャラクターもクローズアップされてきてデーモン小暮以外の構成員もTV等でしゃべるようになっていたと思う.
デーモン小暮の話芸は勿論,エース清水のネタ,ルーク篁のオカマしゃべり等々は絶妙である.
日本でHR/HMというジャンルでは,まともにやっていては売れない.とりあえずは印象付けをしなくてはいけない.
私も高校生の頃,よく友人とピント外れなことをいう者に対して聖飢魔II構成員同士のの掛け合いを真似て
「こういうヤツはどうしたらいい?!」「ニッポンを去れ~!」
とふざけてやっていたことを覚えている.
菓子メーカーからは各構成員に合わせて5種類の(極端な)味を詰め合わせたキャンディーも発売されていた.
デーモン&ルークのコンビで深夜ラジオに出演していたことも忘れられない.

とかく悪魔の隈取りとおどろおどろしい衣装やデーモン小暮のキャラクターがクローズアップされがちだが,聖飢魔IIという集団は非常に器用なミュージシャンの集まりである.
現在はミュージカルもこなすデーモン小暮のエンターテナー性とカリズマ性,ハードロック・ヴォーカリストとしての技量.
ライデン湯沢&ゼノン石川の重量感のあるグルーヴとプログレ+ファンクに根ざした変幻自在なリズム.
元来マルチプレイヤーであるエース清水の精緻な音楽理論に裏打ちされたセンスとメロディアスでクールなギター.
エースとは静と動の対局をなすルーク篁の速弾きやタッピングを多用した複雑でテクニカルなホットなギター.
単なるイロモノ・バンドでは15年もたないし,解散から6年経って再集結という話も出ないと思う.
カブキ・ロックスもフラットバッカー~EZOも忘れられてしまっている.

実際,私も聖飢魔II解散後のデーモン小暮以外の各構成員の活動はフォローしている.
雷電湯澤&石川俊介のRX
ACEのFACE TO ACE
ルーク篁&雷電湯澤のCANTA
デーモン小暮のレコード作品は聞かないからといって嫌いなわけではなく,10年ぶりに中波ラジオのパーソナリティを務める番組は毎晩楽しみに聞いている.
日立製冷蔵庫のペンギンの着ぐるみが出てくるCMの,♪だから美味しいね.日立プロフリーザ♪の歌声はデーモン小暮である.
石川俊介は,ベースマガジン誌においてMarcus Millerの対談相手に選ばれる存在にもなっている.

私にとって聖飢魔IIの代表曲は「蝋人形の館」ではなく,ハードロックとジャズが交錯する「RATSBANE」である.
一曲の中でギタリスト二名のカラーの違いが明確に表され,リズム形態がめまぐるしく変化する.
黒魔術や怪奇現象,殺戮を過剰に演出した初期の作品とは趣を異にした,いかにも聖飢魔II的な楽曲ではないが,ミュージシャン,プレイヤーとしての真骨頂だと思う.

聖飢魔IIは,
永遠に 仏滅 なのである!!

2005年6月16日

車内吊り広告の事情

関西の私鉄電車の車内吊り広告というのは,昔からおしなべて上品である.
グループ内の百貨店や遊園地,プロ野球チームの試合やファンクラブ案内,観光案内等が主だった物であった.
逆にJRや大阪市営地下鉄は,週刊誌の広告が多く,統一性がなく猥雑な印象を少なからず受けていた.
私の住んでいるところは近鉄沿線である.したがって,最もよく利用する機会が多いのが近鉄電車である.もちろん通勤で毎日利用している.
近鉄も上記の例に漏れずスマートなものであった.
しかし,最近になって車両の外側全部を広告に用いたり,車内吊り広告も,雑誌,とりわけパチンコ情報誌や女性週刊誌など見出しに刺激的で扇情的な言葉が羅列されたような物が増え,JRや地下鉄に印象が近づいてきた.
気になり始めると余計に気になってくる.
それまで雑誌広告がなかったわけではないが,ForbesやPRESIDENTといった経営者向けのものしかなかった.
自社グループ内の観光資源が減り,広告収入もグループ企業内でなく,外部に求めた結果であろう.
昨年,大きな話題となった近鉄バファローズで大きな赤字が続き,グループの足を引っ張っていた恰好となっていた.
さらに遊園地も玉手山遊園地に始まり伏見桃山城キャッスルランド,あやめ池遊園地が閉園となった.
残っているのは,日本最古の飛行塔を持つスカイランド生駒(生駒山上遊園地)のみである.
劇場関係もOSK日本歌劇団への支援打ち切りとともにあやめ池遊園地にあった円形大劇場閉鎖,および上本町近鉄劇場も閉館されている.
近鉄百貨店はどれも営業を続けているが,近商ストア(スーパーマーケット)は閉店したところもいくつかある.
阪急は,上品なスタイルを守り続けている.宝塚ファミリーランドは閉園となったものの,阪急百貨店,阪急系映画館,宝塚歌劇団等が健在である.
車内吊り広告は,鉄道会社の経営状態を量るバロメータなのかも知れない.

2005年6月18日

LIGHTNING BLUES GUITAR FES.

lbgf.jpg
チャー主宰の江戸屋レコードのシリーズ・オムニバスの1996年版『江戸屋百歌撰“子”LIGHTNING BLUES GUITAR』に端を発して,
当時『LIGHTNING BLUES GUITAR』と題して数カ所でコンサートが行われ,2枚のライブ録音盤がリリースされた.
私は,百歌撰シリーズは全てフォローしきれず,当該スタジオ盤は所有しているもののライブ盤も購入できず,
江戸屋レコード株式会社は解散,作品はそのまま廃盤になってしまっていた.(江戸屋レコードは,現在,版権所有会社として存在しているようである.)
ちょくちょく中古盤店も覗いては探していたが,今回,日比谷野外音楽堂の完全録音記録と映像が新たにリリースされた.
前回のJohnny,Louis&Charの『Free Spirit』に引き続き,江戸屋掘り起こし音源としてである.
探していた物とは異なるが,よりよい形で手っ取り早く入手できるのは嬉しいことである.もちろん通販先行予約特典DVD付きで購入した.
Char,仲井戸麗市,近藤房之助,石田長生,Alan Mirikitani,西慎嗣,Ichiro,山岸潤史,そして故・大村憲司.
これだけ渋好みのギタリストが一堂に会するのは凄いことである.
それぞれに個性的なギタリストの演奏である.感想など端的に述べられない.

9年後の今年,『LIGHTNING BLUES GUITAR 2005』が催されるそうである.

たまには完全な独言

去年の前半あたりに,かなり“@2ちゃんねる”からリンク跳んできてるなと思ってたんだが,
スレッドが特定できないようにバッファページかませてあるからどういう取り上げ方をされてるかわからなかった.
目的ページは珈琲コンテンツだったのでグルメ板だと当たりはつけていたが,やっと見つかった.
しかし,CJMは別としてまともに@2ちゃんねるの俎上に載るようになるとは,オレも偉くなったもんだ(笑).
一応は,ちゃんと珈琲がメインコンテンツと認められてるみたいね.
コイツの味覚は狂ってるとかそういう悪口を書いているわけではないね.そこは安心した.
味覚の個人差は各々あるからそれぞれの方法論で,まあ,好きにせえや,って思うだけ.
あの手法が簡単だからって別にオレ,手間は掛からないって言ってないもんね.
特別な技能とか道具は要らないよって言ってるだけよ.
むしろ旨い珈琲が喫みたきゃ面倒がらずに手間を惜しむなってくらい.
BBSでもたびたび断っているように高度なことは何ら目指してない.
一味だけでも上のランクに上ればそれでいい.旨くなるわけでなくても不味くなくなるってだけで大した進歩よ.
オレが納得して満足してるんやからそれでええやん? はっきり言ってドリップでも巧く淹れられる技能とノウハウは既に修得してるよ.
ただ,浸漬法にくらべると歩留まりが悪いだけ.
だったら,細心の注意なんか要らなくて安定して美味しい珈琲が喫める方法を選ぶっていう単純なことよ.

当該スレッドのURLを知りたい方はE-mailかBBSでどうぞ.
 

2005年6月20日

コーヒーの科学的トピック

コーヒーの目覚めを解明 睡眠障害治療にも(2005年5月20日付共同通信より)

 コーヒーや紅茶に含まれるカフェインは、脳の細胞膜上にある特定のタンパク質と結び付いて目覚め作用を起こすことを、大阪バイオサイエンス研究所の裏出良博研究部長らが確認、米科学誌ネイチャー・ニューロサイエンス(電子版)に20日、発表した。
 睡眠障害の治療や、眠気を防ぐ方法の開発につながるのではないかという。
 裏出部長らはマウス実験で、人間のコーヒー1、2、3杯分に相当するカフェインを注射器で投与、睡眠時間を比べた。
 普通のマウスは投与量が増えるにつれ睡眠時間が短くなったが、遺伝子操作でアデノシンA2A受容体というタンパク質を欠損させたマウスは、投与量による変化はなかった。 同様の可能性を指摘されていたアデノシンA1受容体というタンパク質を欠損させたマウスは、普通のマウスと変わりなかった。

会議とか講義とかでウトウトするときには,確かにコーヒーを口にすると,まあ,シャッキリとするような気がするが,それは苦味のためであってカフェインの効果ではないような気がする.
気分的な問題だろうと思うのだが.
寝る前にコーヒーを飲んでも,眠れないという経験はかつてなかった.寝覚めは良くも悪くもない.

コーヒーの成分については全て解明されておらず未知の成分もまだまだあるというのが正直なところだそうである.
「コーヒールンバ」の歌詞ではないが,まさに未だ神秘の飲物である.

2005年6月23日

Musical Baton

日ごろチェーンメールやSPAMについて防衛のためにメールマガジンをとったり,それらに関するブログをよく読んでいる.
そんなところに標題のようなものが回ってきた.

アンケートのような設問が4つあって最後に次に回す5人を紹介するというもの.
どこから回ってきたものかはここでは記さないが,私はこういうものは初めて聞くと胡散臭く感じてすぐには乗れない.
手法としては“不幸の手紙”や“チェーンメール”と全く同様で,媒体が郵便物からE-mailそしてブログに変遷しただけである.
前段があるか否かというだけである.
その前段にしても誰かが集計して結果を出すとかそういう目的が明確ではない.
以前に,携帯メールに希少血液型(Rh陰性)についての輸血提供者を探している旨を受け取ったこともあったが,矛盾点がいくつもあったのでこれも次には回さなかった.
そうしたら,しばらく後に携帯のキャリアからのお知らせとして全く同じ内容の文面を紹介して,チェーンメールなのでそれを実行しないようにとのことであった.
不幸の手紙やチェーンメールは,郵便業務やメールトラフィックの増加で本来の通信効率が低下し悪影響が大きいと言うことで反社会的行為とされている.
ブログを対象にしているので通信効率云々に対する影響はあまりないと思われるが,責任者あるいは立案者をはっきりしておいてもらいたいものだ.
今回の場合は,音楽仲間は横の連帯が強いということに付け込んだものと思われる.
検索エンジンで“Musical Baton”を調べると,それぞれの方は自分にお鉢が回ってきたことを喜んで答えておられるが,中には回答だけで次に回すことは控えるという方もいる.
好意的に解釈すると,発祥であるアメリカでは元々は狭いWEBサークル的なものから始まったが,Internetというメディアのもつ特性から一人歩きして国境も越えてしまったと考えられなくもない. 
このネタだけに関しては罪がないものであるが,包括的に見ると様々な危険性もはらんでいるため,チェーンメールの類であると判断した.
いろいろ検索してみて
東京大仏TV
に述べられていることと全く同じ印象をもっているので以下に回答するだけに留め,次に回すのは控えさせていただく.

1.PCに入っている音楽ファイルの容量
 ダウンロードはしない.
 メモリプレーヤーに入れるための受水槽のような目的だけなので所有レコード全てになる可能性ありと言える.

2.現在聞いている音楽
 ゆるゆるギターズ「Mellow Guitars」

3.最近買ったCD
 同上

4. 思い入れのある曲を5曲
 音楽は所詮音楽である.
 包括的に世間の人に比べて音楽が好きなだけで特に思い入れのあるようなものは,アルバム作品ならあるが楽曲では取り立てて無い.

私自身も,つてを辿っていただいたことについては嬉しく思っているので,そのことに関しては決して迷惑とは感じていないことを最後に記しておく.

2005年6月27日

ようやく慣れてきたのか

「つれづれ臭」をブログに移行して9ヶ月.
この6月はエントリ投稿数が10件を超えた.

「つれづれ臭」を始めた頃は週一題くらいのペースで書けていたのだが,
“コラム執筆”という気負いからネタ切れに陥って一時は月一題書ければ御の字になっていた.
そこへ掲示板への投稿数が減ったりウェブログと言うものが浸透してきたりという状況が重なって,
ウェブログ導入と掲示板の形式変更に至った.
ブログを日記のように使っている方も相当数いらっしゃるようだが,私は数行で終わるようなあまりに何気ないことは書きたくない.
私自身,他人が日常の生活でどうしたこうしたなどということには,興味がないからである.
泡沫サイトではあるが,私が何らかの問題提起や主張を行った物に対して
読んでいただいた方には一緒になって考えたり,そんなことがあるのかと思って新たに考えを巡らせるきっかけとして頂ければ嬉しい.

今月は,日記めいたことも多少はあるが,いろいろと考えることの多かった月なのかもしれないし,
ようやく純粋な日記ではなく,かつ,日記的感覚で気負いなく文章が作れるようになってきたことが形になって現れてきたのかもしれない.

2005年6月28日

プライド 運命の瞬間

1998年東映・主演:津川雅彦.

昨今,国内外で大変な耳目を集めている靖国参拝とA級戦犯について見直してみるつもりでレンタルビデオで観た.
津川雅彦が東條英機役である.見た目はそっくりと言っても良いのではないだろうか.
3時間近い大作であったが,長くは感じなかった.再生ボタンを押して観始めたのが21時半過ぎ,気がついたら日付が変わっていた.
極力BGMを用いたかったこともノンフィクション映画として説得力を増し,効果的であると思う.

東條を中心として東京裁判の不当性を糾弾する目的で制作されたのだろう.制作発表からかなり周辺諸国から非難されて話題になっていた憶えがある.
ノンフィクションとは言え,ドキュメンタリーとは100%言えないし,演出や役者の芝居で相当に印象が変わる.
ドキュメンタリーと言えども『華氏911』でも分かるように,演出はいかようにでも可能である.

弁護側の原爆投下や都市への空襲を引き合いに出した同時通訳が意図的に打ち切られたり,
最終的な判決のみで各国判事の評決文の朗読がなされなかったりという,連合国(合衆国)側の意図的な悪意が強調されている.
他の部分は置いてもこの部分だけでも十分に価値があるのではないだろうか.

休廷中のホテルでの裁判長と検事のやり取りなどは事実か虚構かは東京裁判について精査したわけではないので分からない.
結果的にインドの英国からの独立を日本が後押ししたことを前面に出して,大東亜共栄圏の正当化をしようとしているが,陳腐に映った.
むしろ,江戸末期の不平等条約~開戦前の経済封鎖や南京大虐殺がでっち上げであったくだりをもっと強調すべきだったのではないか.
東條以下7人の閣僚役にそうそうたる俳優陣を配していながら,ほとんど並んでいるだけである.
インドの判事に日本の被告は毅然としていたと台詞で言わせるならば,前述の部分はカットしてでも,各人の証言シーンを入れるべきだったのではないか.
東條英機という人物像だけを描きたかったのか? 長くは感じなかったが無駄な部分も多く散漫な印象を受けたことも事実である.

観終った後の印象は,50年経っても合衆国のやり口がアフガンやイラクに対するものと何ら変わっていないのではないかというものである.
見事に陥穽に嵌められていいように改造されてしまっただけである.
しかし,今となっては帝国憲法下の体制が続いていたらどうなっていたかという議論も空しいことである.
普段から報道や教育の場で「かつて日本はファシズムに毒され諸外国に対し暴虐をはたらきました.反省しましょう.」という基調に浸されている.
東條の姿勢を肯定しようがしまいが,その人の勝手だが,せっかく映画という比較的とっつきやすいメディアに落としてくれているのであるから両方を知ってそれぞれの判定を下してみても遅くはないと考える.
もちろん映画だから主人公を美化していることは否定しない.しかし,少なくとも映画を見る限り賛美しているようには見えなかった.
そんな中,戦争犯罪を追及した『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三氏が亡くなった.

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