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2005年5月 アーカイブ

2005年5月 6日

レコードレーベル

PCの高性能化によるハードディスク・レコーディング,インターネットのWEB販売や配信といった新しい制作法,販売ルートが確立するとともに,
なぜ,この人(グループ)が?というアーティストがメジャー・レーベルに属さずにインディペンデント・レーベルから作品を発表している.
海外ではジャズのインディペンデント・レーベルは古くからあり,また,日本でのレコード作品の自主制作というのは,一部演歌では古くからあったが,
ことポップミュージックでは1980年代中期に宝島社が主催する“ナゴム・レコード”が発端となってインディーズ・ブーム~バンド・ブームへと発展していった.
もともと,ロックにおける自主制作というのは,セックス・ピストルズが代表なのでパンクやビート系がこぞって真似をしたことがそもそもだろう.
正直言ってその頃は,レコ倫を通さないのをいいことに好き放題に下品だったのでインディーズは大嫌いだった.
しかし,状況は変わった.メジャーレーベルは商業主義が行き過ぎて強力な購買層(女子中高生)しか市場対象にしていない.
現在でも私が好んで聴いているアーティストもかつてはメジャーレーベルに属していたがインディレーベルから作品発表している.
メジャーレーベルとの2年でアルバム6枚の契約に疲弊,消耗し,80年代後半に江戸屋レコードを設立していたChar,
メンバーの一人,西村麻聡がREBARS RECORDSを設立して活動再開を果たしたFENCE OF DEFENSE,
ウーツーレコーズのアマチュアリズムに共感を覚えてHULA-HULA DANCEシリーズを精力的に発表しているKenji Jammer等々.
レコード会社の市場戦略に左右されずにアーティストが作りたい作品を作る場を自ら設定するために自分のレーベルを立ち上げる.
ようやく日本でも本当の意味のインディーズが確立してきたと言えよう.

変り種で言えば,Simply Redは,日本盤はメジャーレーベルだが,実際にはsimplyred.comという自主レーベルである.

2005年5月11日

歌謡曲とロックの間

togyusi.jpg
阪急三番街で中古レコード市があったので,覗いた.
収穫は,チャーのEP盤「闘牛士」を購入したこと.
昔から中古店で見つけるたびに買うか買うまいか,躊躇してきた.
税込315円だったので迷う余地もなく購入.
当時の定価まで出して買うべきものだろうかとまよっていたのである.というのはB面曲が目当てだからである.
その曲はアルバム未収録曲の中でも唯一CD化されていない「マドンナを堕落させよう」である.
「気絶するほど悩ましい」から続く阿久悠氏作詞の曲である.
聴いた印象は「逆光線」「気絶するほど悩ましい」に近い.内容もそれらに近いセクシーで退廃的な歌詞.
ギターソロも「逆光線」にそっくりである.
なんとなく,忘れられている理由も分かる気がするし,今まで買わなかった事も正解だったように思う.

2005年5月17日

ここ一週間ほどの顛末

5月11日に一通のE-Mailが舞い込んだ.
差出人はKenji Jammerの公式ウェブサイトの制作・管理を任されたという方である.
新たなコンセプトの下で新作が発表され,それに伴う日本国内のライヴツアーが行われることでその広報を目的としたサイトということであった.
ついては,Cruising Jammer Man(以下CJM)の内容を参考にさせて欲しいという申し出であった.
事前に内容を確認してみて欲しいということで記されていたURLを辿ると,Kenji Jammer Official Web Siteと銘打たれ(当初は),
Kenji Jammerご本人によるウェブログも用意されていたので,前々から公言していたように,
もはやCJMは用済みとなるため,私が掲載しているデータは全部渡してしまって閉鎖しようと考えていた.
公式サイトに記述されるとそれなりの権威を持ってしまうので,完璧を期していただこうと私が気付く限りの指摘をE-mailで送信した.
するとその返信にはKenji Jammer公式ウェブではなく,あくまで新プロジェクト下の作品のプロモーション・サイトの位置付けになったとあった.
Kenji Jammer公式サイトということで担当の方も張り切ってらっしゃったのが一通目のE-mailの文面から感じられたのだが,その返信の文面には落胆と混乱しか感じられなかった.
新作の販促が目的なのでレーベルの販売元からCJMを参考にウェブ制作するようにという当初の指示だったらしい.
そのことについて販売元からは私に連絡はなかった.
バラバラの情報をまとめた(例えば年表)時点で私に著作権が発生するのである.そのあたりの認識は持っているのだろうか?
レコードレーベルであれば,著作権に対する見識は深いはずである.
レッドブックのCD-DA仕様に準拠していないと悪名が高いコピーコントロールド・コンパクトディスク(CCCD)は著作権保護の目的だったのではないのか.
素人の作ったウェブサイトの内容など盗用してもかまわないという論理なのか.
以前から大手レコード店のサイトや店頭POPでCJM記事の無断での二次利用も目立ったことも苦々しく思っており,
Kenji Jammerご本人やサイトの開設とは全く別の点でそういう大きなところの態度には少々憤りを覚えている.

だが,運営方針が固まらない時点で連絡を先走りすぎたと恐縮されていたものの,配慮して連絡いただいた担当者の方の誠意には敬意を表したい

だめだこりゃ

掲示板上でNESCAFE香味焙煎についての意見を求められたので,購入して開封してみた.

結論:×

開封した瞬間,煙臭いと思った.あるいは焦げ臭くて脂臭いと思った.
掃除しないまま放置してあったコーヒーミルの匂いである.
やっぱりMAXIMの方が珈琲の自然な甘い香りでいい.
匂いは,かなり味覚を左右する作用を持っているので,ちょっと堪忍して欲しいレベルである.
最小の30gだが,一瓶消費し切るのがツライ….インスタントでもブラックで飲んでいるが,クリーミングパウダーも買うかな…と考えている.
味のほうは,まあ,ちょっとマシなクラスのインスタントコーヒー程度.
ということは香りの分だけ,やはり私はMAXIMを採る.MAXIMのほうが安価であるし.

ちょっと信じがたい

5月13日付共同通信のニュースで目を引くものがあった.
 甘味、塩味、酸味、苦味を認知する感度は4つすべてで女性が男性を上回り、年齢が若いほど感度が高いことが佐賀大の水沼俊美教授(栄養学)らの大規模な調査で13日までに分かった。
 水沼教授は「一番味覚の鋭い若い女性に人気のある店はおいしい店と思って間違いない。味覚に鈍感だと味付けが濃くなるので、健康によい薄味の調理をするには女性が有利」と話している。
 調査対象は、佐賀県に住む20~70代の男女815人。水沼教授らは、甘味はショ糖、塩味は塩化ナトリウム、酸味は酒石酸、苦味は塩酸キニーネを使い、それぞれ30段階の濃度で水溶液を作成。それぞれの味について水溶液に浸した小さな濾紙(ろし)を濃度が薄い方から順番に舌先に載せ、どの段階で味を認知できるかを調べた。

私自身,子供の頃は偏食まではいかないが,かなり好き嫌いが多かったのが,大人になるにつれてほとんど大した努力もせずに克服できた.
この理由に第一に味覚が鈍化していることが挙げられるであろう.子供が嫌う"大人の味"と称する苦みなどがまさにそれである.
蕗(フキ),セロリ,独活(うど)といった香りとクセの強い野菜は食べられなかったが,今となってはあの香りがないと物足りないほどである.

確かに自然科学的調査では,以上のような結果が得られるのであろうが,実際のところ私の印象では信じがたい.
若い女性を侮るつもりはまったくないが,では,なぜ,珈琲に凝る女性が少ないのか?この結果は鵜呑みにできない.
私が嫌うシアトル系コーヒースタンドになぜ若い女性が群がるのか?である.雰囲気に流されているだけとしか思えないのだが.
しかも,若い女性で問題になっているのが,無理なダイエットや偏食が原因となって亜鉛不足による味覚障害が意外と多いことである.
味覚というのは最大の主観で心理作用も大きな要因となるはずである.

名うての料理人は,歳を取るに連れて味覚障害に陥り,味が濃くなりすぎる傾向があるのはよく聞く話であるが.

2005年5月23日

整列乗車に物申す

ここ10年くらいで大阪でも整列乗車が定着してきた.大阪人もマナーが高まってきて結構なこと,と思われる向きも多いだろう.
ところが私は,以前から現状の単純な整列乗車の不合理を感じていた.
実は,鉄道会社の手前勝手な“貨物管理”ではないのかと特に最近思うのである.
プラットフォームのアナウンスに「階段付近に固まらずに」とか「中程の車両が比較的空いております」というのがよくあるが,
これを促すどころか妨げているのが,プラットフォーム上の行列なのである.

・停車位置が決まっているので,その前に2列で並ぶ.
 →ラッシュ時には当然のごとく列が長くなる.
 →プラットフォーム内の移動には“人の壁”を“何枚も突破”せねばならない.
・列の最後尾はプラットフォーム両端から列が延びて重なっているので実質ないに等しい.
 →空いたスペース=プラットフォームの縁を歩かざるを得ず,転落や列車との接触を招き,危険である.
・列と列の間は人の密度が低く効率的にプラットフォーム面積が利用されていない.
・列車到着時には扉の両側に列が崩れて横に広がる.
 →扉の片側を空けるようにアナウンスされているが効き目なし.
 →降車した乗客は左右どちらにも“人の壁”で袋小路である.
 →片側に寄ったとしても,降車客の進む方向によっては“人の壁”が立ちはだかる.

乗客にとっては,不都合さえあるがメリットはないし意味もあまりないのである.
乗客にはメリットがないが,逆に駅員にはそれまでと比べて大きなメリットができた.
それは,曲がりなりにも列らしきものがあるので,乗車を打ち切り易いのである.
あまり乗客にとって安全で快適とは言い難い条件を数多く揃えてしまうのが現状の単純な整列乗車なのである.
先の福知山線の転覆脱線事故と同根と思えてならない.
なぜならば,私は通勤に近鉄とJR環状線を利用しているが,整列乗車をうるさくアナウンスしているのはJRのほうであり,近鉄はさほどうるさくない.
近鉄とて混雑具合はJRに引けを取るものではない.
JRは,何を置いても定時運行至上主義で,乗客を人間とは扱わず,貨物と同等と考えているのではないかとさえ思えてくる.
安全第一の意味を理解できているとは思えない.
これは,言い過ぎとしても,線路に対して直角に並ばせるのではなく,角度を付けるなり,行列を折り曲げるなり,整列乗車の弊害を改善するための工夫をして欲しいものである.

安全第一とは,安全という言葉で工事現場や工場などでしか当てはまらないと思われがちだが,
安全とは作業環境を整えるということであり,実はデスクワークであっても当てはまる.
全て列記すると安全第一,品質第二,生産第三と続く.
作業環境を整えることにより,仕事がしやすくなって品質確保も生産効率向上も同時に図れるという実例(20世紀初頭のUSスティール社)に基づくスローガンなのである.
すなわちJR福知山線の事故は,全く逆で,安全を軽視し生産性を過剰に重視したがために,運転士全体の技能(品質)低下を招き,約2ヶ月運行停止(生産の停滞と損失)という結果をもたらしたわけである.
私自身,福知山線快速電車を通勤に使っていたこともあるので,決して他人事ではなかった事故である.

そもそも順番と秩序を構築するために整列乗車を行うのだから,
整列乗車するなと言っているのではなく,無意味で非合理的な整列をさせるなと言いたいのである.

2005年5月25日

苦味:人だけに許された味わい

2005年5月23日 読売新聞ONLINEより
苦味感じる遺伝子、人類進化で急速に退化
 苦味を感じる遺伝子は人類進化の道のりで急速に退化したことを、総合研究大学院大学(神奈川県葉山町)の郷康広研究員らが突き止めた。

 苦味への感受性は、毒を体内に取り入れないよう備えられたとされているが、人類は、発達した脳で毒を学習し、実際に食べなくても見分けられるようになったことが急な退化の原因らしい。この成果は米遺伝学会誌の今月号に発表された。

 苦味を感じるセンサーを作り出す遺伝子は人類では25個が働いている。ほかに機能を失った残がいのような遺伝子が11個ある。

 研究チームがチンパンジーやゴリラ、マカクザルなど12種の霊長類の苦味遺伝子を調べたところ、これらが持つ残がいの遺伝子は人類よりも少なかった。さらに、1個の苦味遺伝子が機能しなくなるのにこれらの霊長類では平均して約780万年かかっていたのに対し、人類は約200万年と退化が3・9倍も速かった。

人間が持っている味覚の中で最も鈍いのが甘味で最も敏感なのが苦味だそうである.
甘味は糖分であり,即活動のためのエネルギーになるのでたくさん取り入れるために鈍く,苦味は上記の通り毒を意味するので敏感になっている.
そして,幼少期ほど苦味には敏感である.毒を口にしても取り込んでしまわないように,である.

ところが我々文明人はこの苦味を積極的に楽しもうとしている.
昨今,沖縄ブームで食卓に上る機会が多くなったゴーヤー(苦瓜),ホップによって苦味付けをしたビール,そして珈琲である.
私は下戸なのでビールはあまり飲まないが,ゴーヤー・チャンプルーは好きな料理であるし,当サイトのメインテーマである珈琲はもちろん好きである.
一口に苦味といっても様々な苦味がある.特に珈琲には,まだ未解明の化学成分が相当数にのぼるそうである.
かつてNHK「ためしてガッテン」で珈琲について放送された内容では,焙煎豆が含む同じ苦味成分でも“良いお焦げ”と“悪いお焦げ”の2種類が存在して,“良いお焦げ”のみを抽出できたものが美味しい珈琲であると定義されていた.
完全に苦味を嫌うのであれば,どちらも単に苦味としか認識されないはずである.
苦味に鈍くなった分だけ,かえってその差異が分かるようになり,楽しみが増えたといえる.
人間の食事には,単に生命を維持する活動だけでなく,他の動物が持たない娯楽という意味も持つ.
感覚が退化したからといって悲観することもないし,そもそも人間は高い知能や文明と引き替えにかなりの感覚を犠牲にしてきたはずである.

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