小学生の一時期,ゼロ戦に興味を持ったことがあって一冊図解本を読んだ.
ゼロ戦とは零式艦上戦闘機であり,米軍パイロットにもZERO FIGHTERとして恐れられたことから,逆輸入名称のような形で定着したものである.
神風特別攻撃隊を初めとして第二次大戦時の悲劇的な逸話がついてまわる機体だが,
航続距離,運動性能を初めとして間違いなく日本の航空技術史上類い希なる傑作戦闘機である.
その本には開発の経緯についても少し述べられていて,先行の海軍制式戦闘機に九六式艦上戦闘機というのもあった.
九六式と零式の明らかなる違いはランディングギア(車輪)の飛行時の状態である.
九六式は脚を伸縮式にして車輪に流線型の覆いを取り付けていたのに対し,零式は主翼底部に折りたたんで空気抵抗を減らすというものである.
そういう技術的進歩は分かるのだが,なぜ,九六式のほうが旧式で零式を冠した戦闘機が新型なのかが小学校低学年の私には分からなかった.
しかも,ゼロ戦にフロートを取り付け,飛行艇として運用された二式水艇という機体もバリエーションとして存在した.
型式の場合に零(0)という数字が使われうるのか.そのあたりの解説はまったくなかった.
西暦1930~40年代で昭和10年代,関連しそうな数字は全くない.
そういうことに興味を持っていた事すら忘れていたが,最近になって違うきっかけで思い出し,また,その二つが見事に合致したのである.
日本では,戦時中,敗戦まで元号によらず,かつ,西暦ではない年号が使われていたことに気付いたのである.
それは,神武天皇の即位を紀元とする皇紀である.敗戦による皇国史観の全否定によって使われなくなった.
初代神武~九代開化天皇が存在しないことが定説で,また,大和朝廷の成立が三~四世紀とされている事から考古学上も正しくはないとされている.
が,明治憲法以降,特に第二次大戦中,大日本帝国は,現人神である天皇がおわす神国であるという皇国史観が国の全てを支配していた.
ゼロ戦とこの皇紀が非常に関連が深いことに気が付いた.
皇紀2600年(西暦1940年/昭和15年)に制式採用された記念すべき海軍制式戦闘機が零式艦上戦闘機=ゼロ戦ということなのである.つまり年式である.
同様に先に紹介した九六式は2596年,二式水艇は2602年に制式採用された機体ということになる.
現在では皇国史観の否定で皇紀は一部の右翼政治団体のみしか用いないし,使用する事自体がドイツにおけるナチス同様一般市民には憚られるものである.
(1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件の犯行声明文の末尾に皇紀2647年と書かれていたような覚えがある)
しかし,ゼロ戦の解説をするなら誤った皇国史観と軍国主義への反省も含めた上で皇紀の年式であるとの説明も必要な事である.
まったくもって「臭いものには蓋」である.
(プロペラ戦闘機ファンのサイトには皇紀を併記して解説されている方々も少なくない)
昨今の日本と周辺各国との軋轢もこういう片手落ちなところが原因となって主張の行き違いがエスカレートしていることが多いように思えてならない.