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2005年4月 アーカイブ

2005年4月 5日

終わる番組あれば

ラジオ番組改編期である.
私は中波ラジオ好きである事は既に書いたことがある.

終了してしまって,もっとも残念で寂しい思いをしているのは,MBS夜な夜な倶楽部「ハーフータイム」である.
この番組は,10年前にあったFMとしては型破りの番組「レディオ・ハーフー!」が1年前に復活したもので,
ナレーターの畑中ふうと歌手で淡路島の米屋のおっさん打越もとひさの二人がウダ話をするだけの極めて大阪的なラジオであった.
3月いっぱいで番組は終了したが支持者は根強く,ウェブサイト「WEB RADIO HAAFUU」は存続しlivedoorのネットラジオを駆使するなど新しい試みで継続している.
ファンの間では10月の再開に大きな期待が集まっている.

期待している新番組は,「デーモン小暮ニッポン全国ラジベガス」である.
ニッポン放送だけでなく,全国ネットであるのがチューニングに苦しむことなく嬉しい.関西では,AM神戸とKBS京都の2局で聴く事ができる.
15年前に「デーモン小暮のオールナイトニッポン」を愛聴していたので,週一ではなく月~金の帯でもあり,毎日非常に楽しみである.
デーモン閣下の相方が,当時の聖飢魔II構成員ギター担当,オカマしゃべりのルーク篁参謀でないことが物足りないが,
曜日担当で多彩な女性アシスタントがつくことが曜日ごとの色が出て楽しいだろう.

2005年4月 6日

5.1chシステム

昨年末にDVDユニバーサルプレイヤーを購入し,長年愛用してきたコンポに接続して2chステレオで使ってきた.
5.1chサラウンドシステムはどうしようかな,サラウンドヘッドフォンでも買おうかと思っていたところへ,
近所のホームセンターの広告に非常に安価なサラウンドセットがあった.
どことも分からないメーカーの中途半端な製品なのがホームセンターの家電の常なのだが,
メーカーを見てFUZEだったので,一流とは言えないが,それほど悪くはないと思ってAVS-3000が8,500円程度だったので割り切って購入した.
いきなり高価な物を買って設置できなかったら泣きだからである.

設置してみると安物ながらもなかなか満足である.
サラウンドシステムというのは聴感上の音量が大きいように思っても,サラウンドの円内から外れるとほとんど音に包まれている感覚がない.
デジタル同軸/光音声入力があり,デコードモードもDTSからプロロジック/プロロジックIIまで揃っている.

かなりサブウーファーに誤魔化されている部分があるとは思う.
本当に芯がある音はチャンネル数は少なくともコンポに委ねられる.

2005年4月 7日

無料ISP終了

ライブドアが無料ダイヤルアップ接続サービスを6月いっぱいで終了するという.
昨年から何かと世間を騒がせ,一般層への知名度が一躍アップしたライブドアだが,実は,私は5年前からライブドア・ユーザーである.
当時は,まだアナログ回線のダイヤルアップが主流であったので無料プロバイダというのは非常に魅力的であった.
ただし,5年前のライブドアは現在のライブドアとは異なる.
2002年に経営破綻して,堀江貴文率いるオン・ザ・エッヂが引き継ぎ,再度ライブドアに社名変更したものである.
私個人の率直な印象を述べると,無料ISP事業をやめたライブドアに価値は全く見出せない.
ブロードバンドが主流になったとはいえ,未だにノートPCには内蔵モデムが標準装備されており,
とりあえず電話線があればダイヤルアップででもメールチェック等ができるのが良いのである.
通信インフラは別として,接続料無料という破格の存在に価値があるはずなのである.

2005年4月 9日

移行完了

サイト開設から昨年9月までに「つれづれ臭」として執筆したコラムを全てこのウェブログに移行した.
何もそんな手間を掛けなくてもとも思うのだが,実際,「音楽/雑想」篇はHTMLファイルにして100kBを超えていた.
一般に,ブロードバンドが主流となった現在にあってもウェブページは画像を含めて50kBを超えると重いと言われるのだが,文字のみでこれだけの分量になるとさすがに大きすぎる.
なんとかしたいと思いながらも,「音楽」篇と「雑想」篇にわけてしまうとさらに煩雑になり,
アクセシビリティのメンテナンスが大変になるのでなかなか踏み切れなかった.
ウェブログというのは都合の良い事に初めからカテゴリという概念が存在するので管理しやすい.
実際,「つれづれ臭」のバックナンバーのキーワードをウェブログの検索窓で検索されている方も居るようなので,
そういう意味でも使い勝手がよく,ビジターに親切な設計だろうと考えた.
約50篇を少しずつコピー・ペーストして時間はかかったが,なんとか形になったのではないだろうか.

2005年4月18日

Vシネマ

リーサルウェポン・シリーズに代表されるB級アクション・バカ映画が大好きである.

現在,ヤクザ映画,ソフト・ポルノなどのジャンルではVシネマが主流になっているが,Vシネマの元祖をご存知だろうか?
1990年前後の制作だったと思うが,世良公則主演の「クライムハンター」である.
劇場での興行収入を見込めるほどには費用は掛けられないが,TVドラマではできない大仕掛けな撮影をしたいという制作側の意図から生まれた形態だそうである.
当時放送されていた毎週土曜日20時からのFM番組「SERA Way」でしきりとことあるごとに,この初のVシネマ撮影進捗などについて話していた.
(一度,チャーが番組にゲスト出演した事があり“ロック御三家”のうちの二人が当時のことについて,音楽について熱く語っていたのが印象に残っている)

「クライムハンター」はリトル・トーキョーの捜査官を主人公にしたほとんどストーリーがないドンパチだけのガン・アクションである.
シリーズは全部で3作制作されたが,主要出演者が世良公則,叉野誠治,竹内力である事以外に連続性や関連は全くない.
やはり一作目がもっとも見応えがある.リリース直後に観て以来,一作目を10何年かぶりに観てみた.
ストーリー性と引き替えに銃器にこだわり,ガン・マニアには堪らないものとなっているというふれ込みだったと思う.
銃の整備シーンや弾丸の装填数と発射数の辻褄合わせとマガジン交換シーンは必ずあり,銃それぞれに全て発射効果音を違えるほどのこだわりようである.
人体への着弾音が入っているのはこのシリーズを於いて他にはないだろう.
一作目のラストでは,オートマグ44が排莢詰まりでしばしば動かなくなるという有名な欠陥を演出に利用していた.
世良公則氏はオートマチック拳銃であるコルト・ガバメント45がお気に入りらしい.他の作品でも拳銃を小道具に使う場合には必ずガバメントである.

そういえば,メル ギブソンのアテレコが世良公則氏だったことがあった.

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2005年4月22日

レクチャービデオ

lecture.jpg
私が所有しているレクチャービデオは,上の3本である.
別にこれらを観て例題フレーズをモノにしようとかは,全く考えていない.
なので教則ビデオとは捉えていないし,典型的な教則ビデオは観ようとは思わない.
単に好きなプレイヤーの演奏を鑑賞し堪能するためだけである.
特に聖飢魔II時代のルーク篁は,デーモン小暮という強力なキャラクターを持ったフロントマンがいる上に
エース清水というこれまた個性的なギタリストがもう一名いるわけで,ライブビデオでも手元が重点的に長時間映ることはまず無い.
江川ほーじんにしても同じである.
爆風スランプ時代は,サンプラザ中野がクローズアップされがちで,バンド・サウンドの中核をなしていながらベースというパートなので注目したファンは一般的には少ない.
爆風スランプ脱退後に結成したRHINOCEROSは,あれほどかっこいいバンドなのにあまり売れなかった.したがってライブ映像はない.
(1stアルバム自体はそこそこ売れたのか,中古店で安価にてよく見かけるので是非一聴されたい)
その後は,主にPORTFOLIOやダブラーズなどジャズ/フュージョンのフィールドでの活動やGRAHAM CENTRAL STATIONのカバーバンドである,江川ほーじん&GRAND STATIONでのライブ活動だったので,
あまりベースマガジン以外のメディアには出てこないし,なかなか東京以外でのライブもない.
そんな中で江川ほーじんの演奏に触れる手段としては非常に貴重なものである.

ソロ活動は,あまりやらないミュージシャン'Sミュージシャンの演奏を間近に観る方法はこれしかない.

2005年4月26日

型式

小学生の一時期,ゼロ戦に興味を持ったことがあって一冊図解本を読んだ.
ゼロ戦とは零式艦上戦闘機であり,米軍パイロットにもZERO FIGHTERとして恐れられたことから,逆輸入名称のような形で定着したものである.
神風特別攻撃隊を初めとして第二次大戦時の悲劇的な逸話がついてまわる機体だが,
航続距離,運動性能を初めとして間違いなく日本の航空技術史上類い希なる傑作戦闘機である.
その本には開発の経緯についても少し述べられていて,先行の海軍制式戦闘機に九六式艦上戦闘機というのもあった.
九六式と零式の明らかなる違いはランディングギア(車輪)の飛行時の状態である.
九六式は脚を伸縮式にして車輪に流線型の覆いを取り付けていたのに対し,零式は主翼底部に折りたたんで空気抵抗を減らすというものである.
そういう技術的進歩は分かるのだが,なぜ,九六式のほうが旧式で零式を冠した戦闘機が新型なのかが小学校低学年の私には分からなかった.
しかも,ゼロ戦にフロートを取り付け,飛行艇として運用された二式水艇という機体もバリエーションとして存在した.
型式の場合に零(0)という数字が使われうるのか.そのあたりの解説はまったくなかった.
西暦1930~40年代で昭和10年代,関連しそうな数字は全くない.
そういうことに興味を持っていた事すら忘れていたが,最近になって違うきっかけで思い出し,また,その二つが見事に合致したのである.

日本では,戦時中,敗戦まで元号によらず,かつ,西暦ではない年号が使われていたことに気付いたのである.
それは,神武天皇の即位を紀元とする皇紀である.敗戦による皇国史観の全否定によって使われなくなった.
初代神武~九代開化天皇が存在しないことが定説で,また,大和朝廷の成立が三~四世紀とされている事から考古学上も正しくはないとされている.
が,明治憲法以降,特に第二次大戦中,大日本帝国は,現人神である天皇がおわす神国であるという皇国史観が国の全てを支配していた.

ゼロ戦とこの皇紀が非常に関連が深いことに気が付いた.
皇紀2600年(西暦1940年/昭和15年)に制式採用された記念すべき海軍制式戦闘機が零式艦上戦闘機=ゼロ戦ということなのである.つまり年式である.
同様に先に紹介した九六式は2596年,二式水艇は2602年に制式採用された機体ということになる.
現在では皇国史観の否定で皇紀は一部の右翼政治団体のみしか用いないし,使用する事自体がドイツにおけるナチス同様一般市民には憚られるものである.
(1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件の犯行声明文の末尾に皇紀2647年と書かれていたような覚えがある)
しかし,ゼロ戦の解説をするなら誤った皇国史観と軍国主義への反省も含めた上で皇紀の年式であるとの説明も必要な事である.
まったくもって「臭いものには蓋」である.
(プロペラ戦闘機ファンのサイトには皇紀を併記して解説されている方々も少なくない)

昨今の日本と周辺各国との軋轢もこういう片手落ちなところが原因となって主張の行き違いがエスカレートしていることが多いように思えてならない.

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