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プライド 運命の瞬間

1998年東映・主演:津川雅彦.

昨今,国内外で大変な耳目を集めている靖国参拝とA級戦犯について見直してみるつもりでレンタルビデオで観た.
津川雅彦が東條英機役である.見た目はそっくりと言っても良いのではないだろうか.
3時間近い大作であったが,長くは感じなかった.再生ボタンを押して観始めたのが21時半過ぎ,気がついたら日付が変わっていた.
極力BGMを用いたかったこともノンフィクション映画として説得力を増し,効果的であると思う.

東條を中心として東京裁判の不当性を糾弾する目的で制作されたのだろう.制作発表からかなり周辺諸国から非難されて話題になっていた憶えがある.
ノンフィクションとは言え,ドキュメンタリーとは100%言えないし,演出や役者の芝居で相当に印象が変わる.
ドキュメンタリーと言えども『華氏911』でも分かるように,演出はいかようにでも可能である.

弁護側の原爆投下や都市への空襲を引き合いに出した同時通訳が意図的に打ち切られたり,
最終的な判決のみで各国判事の評決文の朗読がなされなかったりという,連合国(合衆国)側の意図的な悪意が強調されている.
他の部分は置いてもこの部分だけでも十分に価値があるのではないだろうか.

休廷中のホテルでの裁判長と検事のやり取りなどは事実か虚構かは東京裁判について精査したわけではないので分からない.
結果的にインドの英国からの独立を日本が後押ししたことを前面に出して,大東亜共栄圏の正当化をしようとしているが,陳腐に映った.
むしろ,江戸末期の不平等条約~開戦前の経済封鎖や南京大虐殺がでっち上げであったくだりをもっと強調すべきだったのではないか.
東條以下7人の閣僚役にそうそうたる俳優陣を配していながら,ほとんど並んでいるだけである.
インドの判事に日本の被告は毅然としていたと台詞で言わせるならば,前述の部分はカットしてでも,各人の証言シーンを入れるべきだったのではないか.
東條英機という人物像だけを描きたかったのか? 長くは感じなかったが無駄な部分も多く散漫な印象を受けたことも事実である.

観終った後の印象は,50年経っても合衆国のやり口がアフガンやイラクに対するものと何ら変わっていないのではないかというものである.
見事に陥穽に嵌められていいように改造されてしまっただけである.
しかし,今となっては帝国憲法下の体制が続いていたらどうなっていたかという議論も空しいことである.
普段から報道や教育の場で「かつて日本はファシズムに毒され諸外国に対し暴虐をはたらきました.反省しましょう.」という基調に浸されている.
東條の姿勢を肯定しようがしまいが,その人の勝手だが,せっかく映画という比較的とっつきやすいメディアに落としてくれているのであるから両方を知ってそれぞれの判定を下してみても遅くはないと考える.
もちろん映画だから主人公を美化していることは否定しない.しかし,少なくとも映画を見る限り賛美しているようには見えなかった.
そんな中,戦争犯罪を追及した『ゆきゆきて、神軍』の奥崎謙三氏が亡くなった.

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2005年6月28日 19:59に投稿されたエントリーのページです。

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