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2004年11月 アーカイブ

2004年11月 2日

難解な物語

『∀ GUNDAM(ターンエー・ガンダム)』TVシリーズは,なかなか放送の時間帯等々の問題があって細切れにしか観られず,
よく話の中身まで見えなかったが,劇場用として編集された「地球光」「月光蝶」をようやくビデオソフトで観ることが出来た.
∀ GUNDAMはデザイナーがシド ミードで,ガンダムのあの兜の前立てに相当する特徴的な“角”がダリの口髭のようにデザインされ,
賛否両論があったし,実際に私も旧来からのファンとしてかなり違和感を覚えていたのだが,プラモデルとして立体化されたものを目にしたときには,
さすが実際の工業デザインも手がけるシド ミードであると感心した.
コメディやギャグでもないが,殺伐とした感じがなくどこまで行っても牧歌的でありながら,
物語自体は,非常に複雑で難解.生半可な見方ではなんのことかさっぱり分からないだろう.
しかし,やはりガンダムという作品は富野由悠季監督でないと物語の重みが生まれないような気がする.
今まで多数“ガンダム”を題に冠した作品が作られてきたが,富野監督が作った世界の中でしか動けておらず,
“ガンダム”世界を新たに創造できるのは富野監督唯一人であることが分かる.

富野由悠季という演出家の名を意識して作品を観たのは『機動戦士ガンダム』が初めであるが,
後から『鉄腕アトム』はじめTV向けアニメーション黎明期から第一線で活躍し続けていることが次々に分かってきた.
再放送されたり,懐かしがってビデオを借りてきた古い作品の演出に富野喜幸(当時)の名を実によく目にするのである.
しかも,“子供向け”作品で評判が悪かった回に限って富野演出だったのである.
例えば『勇者ライディーン』前半で全く視聴率が振るわなかったかったのに,後半,監督が富野氏から交代すると数字が良くなったとか.

氏は,ロボットアニメが玩具メーカーの販促でしかないと言う慣習にかなりの憤りを演出家として覚えていたそうで,
『伝説巨神イデオン』では,設定を頭頂高105mと極端に大きくし,機械でありながらエネルギー源が人智を超えるもので,
しかも主人公たちの意のままにならず,徹底的に悲劇が襲うという非常に暗い作品となり,結果的にTVシリーズは未完のまま打ち切りとなった.
しかし,玩具ターゲット層から外れるファン達の要望で劇場版で完結まで描かれることになった.

『機動戦士ガンダム』はブームに乗って見始めたに過ぎなかったが,『伝説巨神イデオン』で描かれた人間の業の深さ,
ある種,宗教神話的な広がりさえも感じさせる作品の凄味を見せられて富野由悠季という演出家の執念を感じたのである.

2004年11月10日

自然災害への備え

言い尽くされているが,今年は本当に自然災害が多い.
次々に襲来する台風,火山噴火,そして今も強い余震が続く新潟県中越地震.
幸い,私の住んでいる地域は,どれについても直接的な被害が出ていない.
しかし,いつこうした自然災害に襲われるともかぎらない.
特に今懸念されているのが,東海~南海地震である.
しかも,過去の地震記録を見ると,東海地震と南海地震が同時発生したり,わずかの期間で連続的に発生したりすることが多い.
東海~東南海~南海地震が同時発生すると,関東~九州の太平洋側が全て被災地になる.
兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災以降,日頃から非常持ち出し袋に懐中電灯や非常食などを用意しておくようにと言われているが,今回の新潟県中越地震で非常持ち出し袋が役立ちましたという被災者の声は聞いたことがない.最大約10万人の被災者の方々が避難したというのにである.準備した人が一割いれば一万人のはずであるのに.
そして,役立っていれば非常持ち出し袋の有効性が証明されたことになる.
局地的な災害であれば,兵庫県南部地震や新潟県中越地震の例でも3日程度で救援物資がほぼ行き渡り,周辺地域から救援に駆けつけることも出来る.
運良く身体は無事で,それまでの3日程度をしのげるのであれば,非常持ち出し袋も十分役立つと言える.
しかし,東海~南海地震が発生した場合には,被災地が前述のように広域となる.このときどこから救援が来るのだろうか.3日どころでは済むまい.
災害報道を見ながら考えているが,まだ結論は出せていない.
どなたか良いアイディアはないものだろうか.

2004年11月11日

御館(みたち)贔屓

最近読んだ本が『「金色堂はなぜ建てられたか-金色堂に眠る首級の謎を解く-」高井ふみや著・智慧の海叢書』.
通説となっているのが,清衡・基衡・秀衡の遺体と泰衡の首級が金色堂の須弥壇下に納められているということだが,
伝忠衡の首級が昭和25年の金色堂解体修理に伴う調査によって泰衡のものと断定されたその首級は清衡の父,前九年合戦で源頼義によって鈍刀で首を擦り斬られた藤原経清なのではないかという内容で書かれている.
確かに,首級に残る傷の数々,前九年・後三年合戦の経緯を鑑みると初代清衡が自らのためよりも,父経清および安倍一党の供養のために中尊寺金色堂を建立したとするほうが自然である.

また,2005年のNHK大河ドラマの題材は,源義経.
この題材になると,当然描かれるのが,弁慶の立ち往生で有名な衣川での義経の最期である.
奥州藤原四代泰衡の無能さが強調されるわけであるが,この出典根拠は「吾妻鏡」のみである.
「吾妻鏡」は"鎌倉幕府の記録"であり,客観的な記録ではない.
つまり,鎌倉側即ち源氏とりわけ頼朝を正当化する目的で書かれたものであり,非常に一方的なものであると考える.
以前にも書いたとおり,私は,奥州藤原に対して思い入れがある.したがって泰衡は決して無能な人間ではなかったと思いたい.
平泉側の記録が残っていれば,また,違う記述があったのではないだろうか.
しかし,仮に当時存在していたとしても,平泉政庁とともに灰燼に帰したこともさることながら,それ以前に鎌倉の手によって,抹殺されていただろう.
武家政権は二つ共存し得ない.
両雄並び立たず,で,時代が鎌倉を選んだだけであろう.
むしろ,初めから義経を奥州に追いやり,平泉を滅ぼす口実と成したかった.上手くやりおおせた謀略だったのではないか.
源氏という血筋は,保元・平治の乱でも分かるとおり,身内でも殺し合う血筋である.実の弟であろうが無関係である.
恐らく,平泉が差し出した義経の首は,偽物であろうと私は考えている.
そして鎌倉側もそれを分かっていたから,頼朝自身による首実検に至らず海に打ち棄てられたのであろう.
それが本物であろうと偽物であろうとどうでも良いのである.
朝廷に圧力をかけて平泉を朝敵となし,自分の父祖,源頼義・義家父子が前九年・後三年合戦で行ったことをたどりたかっただけなのである.

2004年11月30日

政権は100年で破綻する

完全に私見である.
ただ,日本有史以降,すべて合致する.
大宝律令から約100年後,荘園によって律令制が形骸化し有名無実になり摂関政治へ.
鎌倉開府から約100年後,元寇をきっかけに幕府が弱体化し後醍醐天皇の蜂起により滅ぶ.
室町開府から約100年後,応仁の乱が勃発し,幕府が弱体化,戦国時代に突入する.
江戸開府から約100年後,幕府財政難と共に徳川将軍家が絶え,徳川吉宗が征夷大将軍に就任.紀伊徳川家に乗っ取られる.
さらに約100年後,開国~大政奉還~戊辰戦争~明治維新である.

さて,近代・現代の体制も100年に到達している.限界に近いのではないだろうか.
何をもって100年とするかの判断は難しいが.明治維新から130年か,選挙による政党政治から100年か,第二次大戦終結から100年とするか.
おそらくは,選挙による議会政党政治開始から数えるのが妥当と思われるが,こればかりはごく遠い将来から見てみなければ判断できないことかもしれない.
しかし,現在,様々な矛盾が噴出している.
環境問題に関しては,30年以上前から公害問題として顕在化している.官僚制の硬直化でどこの自治体も国の省庁も立ち行かなくなってきている.
30年前までならば,ここで『革命』という言葉を使ったところで何も不思議は無かっただろう.
しかし,事実上,社会主義国家建設の実験が大失敗に終わった今,これも夢のまた夢である.
ソビエト連邦については,100年もたなかったのである.
だからといって,資本主義が優れているかというとそうではない.自然発生的に発展してきた経済体制なので人心に受け入れられやすかっただけである.
その日本資本主義も,グローバル化,ボーダーレス化で矛盾の顕在化がさらに加速度的に進むのではないだろうか.

既に近代・現代の体制も破綻していることを意識しておかなければならない.

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