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御館(みたち)贔屓

最近読んだ本が『「金色堂はなぜ建てられたか-金色堂に眠る首級の謎を解く-」高井ふみや著・智慧の海叢書』.
通説となっているのが,清衡・基衡・秀衡の遺体と泰衡の首級が金色堂の須弥壇下に納められているということだが,
伝忠衡の首級が昭和25年の金色堂解体修理に伴う調査によって泰衡のものと断定されたその首級は清衡の父,前九年合戦で源頼義によって鈍刀で首を擦り斬られた藤原経清なのではないかという内容で書かれている.
確かに,首級に残る傷の数々,前九年・後三年合戦の経緯を鑑みると初代清衡が自らのためよりも,父経清および安倍一党の供養のために中尊寺金色堂を建立したとするほうが自然である.

また,2005年のNHK大河ドラマの題材は,源義経.
この題材になると,当然描かれるのが,弁慶の立ち往生で有名な衣川での義経の最期である.
奥州藤原四代泰衡の無能さが強調されるわけであるが,この出典根拠は「吾妻鏡」のみである.
「吾妻鏡」は"鎌倉幕府の記録"であり,客観的な記録ではない.
つまり,鎌倉側即ち源氏とりわけ頼朝を正当化する目的で書かれたものであり,非常に一方的なものであると考える.
以前にも書いたとおり,私は,奥州藤原に対して思い入れがある.したがって泰衡は決して無能な人間ではなかったと思いたい.
平泉側の記録が残っていれば,また,違う記述があったのではないだろうか.
しかし,仮に当時存在していたとしても,平泉政庁とともに灰燼に帰したこともさることながら,それ以前に鎌倉の手によって,抹殺されていただろう.
武家政権は二つ共存し得ない.
両雄並び立たず,で,時代が鎌倉を選んだだけであろう.
むしろ,初めから義経を奥州に追いやり,平泉を滅ぼす口実と成したかった.上手くやりおおせた謀略だったのではないか.
源氏という血筋は,保元・平治の乱でも分かるとおり,身内でも殺し合う血筋である.実の弟であろうが無関係である.
恐らく,平泉が差し出した義経の首は,偽物であろうと私は考えている.
そして鎌倉側もそれを分かっていたから,頼朝自身による首実検に至らず海に打ち棄てられたのであろう.
それが本物であろうと偽物であろうとどうでも良いのである.
朝廷に圧力をかけて平泉を朝敵となし,自分の父祖,源頼義・義家父子が前九年・後三年合戦で行ったことをたどりたかっただけなのである.

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2004年11月11日 19:36に投稿されたエントリーのページです。

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