« 2005年9月 | メイン | 2005年11月 »

2005年10月 アーカイブ

2005年10月 1日

ダイエット

オフで私を知っている人はこの標題をみて「何だと!?」と思われるかも知れないが,さすがに30代も半ばになると代謝量が落ちてきて,すぐに贅肉に変化してしまう.
見た目に出ていなくても,端々に肥満の兆しが出始めているので,かなり注意している.
二十歳頃までは,燃費が悪かったので底抜けに食べても体重が50kgをなかなか超えず,献血でも400mlができずに検査項目が少なく不満に思っていた.

さて,世間一般に“ダイエット”とは“減量”と理解されているようだが誤りである.
Diet=食餌療法なので極度に痩せた人が体力をつけるために熱量の大きい食品を摂取して太ろうとするのもダイエットである.
そして現在私が減量のために行っているのは間違いなくダイエットである.
しかし,食べる量も全般的な食品の種類も全く変わっていないし,特別に運動をしてエネルギー消費を促しているわけでもない.
何をしているか?食べる順番を変えたのである.
小学校などで給食を食べるときに,まんべんなく食べる“三角食べ”を推奨して指導されるが,それからすると全く逆を行うのである.
どうやら空腹時に最初に胃に入った食品から吸収あるいは効果を発揮していくようである.
だから食卓に並んでいるものでは,野菜から食べるのである.そして,毎日体重計に乗ってその時その時の体重を意識する.
これだけのことで,定常体重が十日ほどで1kg減った.おそらく野菜の食物繊維が効果を発揮して,後から糖質や脂質が入っても上滑りして吸収されにくくなる効果があるように思う.
体重が1kg減ったというだけでは大した効果には思えないが,排便の感触がスムーズで胴回りや下腹が自分でも明らかに分かるぐらいすっきりしたのである.

半年くらい前にジーンズを新調した.裾あわせの試着の時,28インチのタイトフィットではウエストのボタンが正直留めづらかったのだが,ここで妥協しては体が油断して太ってしまうと思い,そのジーンズを購入した.
今まで,そのジーンズを穿くときは,ずっとボタンを留めにくかったが,食餌の仕方を変えて短期間でボタンが楽に留まるようになった.
細めのジーンズで意地を張っておくものである.自己の肥満ボーダーラインにして体型を管理できる.

とんでもなく太ってしまうと取り返しが付かず,落とすためには多大な努力を要するが,兆しが出始めたときにちょっとした意識で簡単に取り戻せるものである.
野菜から手をつけることと,朝の冷たい珈琲(非即席)がよく効く.

2005年10月 5日

CREAM REUNION 2005

ことERIC CLAPTONやチャーの新作発表となると懐具合を考えずに購入してしまうので困ったものだが,待ちに待ったCREAM再結成ライヴ記録の公式発表である.
つい先日,ERIC CLAPTONのオリジナルアルバムが発表されたばかりであるが,やはり圧倒的にこちらである.
解散コンサートの映像はどう考えても継ぎ接ぎだし全く的はずれなものを映しているので,まともに3人のライヴ演奏がオフィシャルな映像として納められたのは1966年の結成以来初めてのことではないだろうか.

レイドバックだアンプラグドだと言ったところで,ERIC CLAPTONはCREAMに帰着する.
リアルタイムで聴いてきたファンはもちろんだろうが,私のように後追いのCLAPTONファンですらCREAMが入り口だったのである.
なんと言ってもイギリスのカルト的ギターヒーローから世界的に名声を得たのがCREAMである.その歴史的経緯の意味は大きい.
現在のハードロック/ヘヴィメタル・バンドの大半はCREAMの孫や曾孫と言っても過言ではないほど影響を残しているバンドである.
ERIC CLAPTONは1974年の本格的なソロ活動開始以降,ずっと大所帯のバンドを引き連れている.
途中,1980年代半ばにギタートリオ+キーボードの4人編成もあったが,この少し前くらいからギター演奏の迫力が戻ってきたと言われてはいたものの,何か物足りなさがあったことは否めない.
(私はビデオ記録として残っている1986年7月バーミンガムの演奏はシンプルで非常に好きであるが)
いや,しかしこのCREAM再結成の演奏はすごい.
CROSSROADSはもう少しスタカートを効かせた歯切れよいものを期待していたのを除いては,ロックの最小単位ギタートリオで必要十分なサウンドを爆発的に放出していた.
60歳を過ぎた3人でしかもそのうちの一人JACK BRUCEは肝癌の病み上がりなのに37年前の解散時のアルバートホールと同等かそれ以上ではないか.
(GINGER BAKERは,ステージでは昔に劣らない強烈なドラミングを披露していたが,インタビューでは老人に見えたのには驚いた)
ERIC CLAPTONは,最近のJEFF BECKの盛んな活動を見て惰性でギターを弾くことをやめ,再び練習を始めたらしいということだが,その成果発表の場がCREAM再結成公演だったのだろうか(笑).
やはり,これが本来の姿ではないのか.
“カッコいいロマンチックなおじさま”としてERIC CLAPTONを見ている女性ファンにハードロック/ヘヴィメタルの源流たるCREAMはどのように映っているのだろう.

今回のライヴ映像を観て,解散と今回の中間地点に当たり,私のCREAM原体験であるJACK BRUCE, ANTON FIER & KENJI SUZUKI『INAZUMA Super Session』の映像記録がますます観たくなった.

2005年10月11日

1980年代

1980年代の10年間というと,私自身は小学校高学年から大学生と心身ともに最も成長する時期であり,刺激を受けやすい年代に当たっていた.
誰もがそうであるようにこの多感な年頃に刺激を受けたものについては忘れがたい.
ロックシーンでは,1960年代の草創期,1970年代の爛熟期を経てテクノロジーとビジネス先行の1980年代はつまらなくなったと言われている.
ロックは「HOTEL CALIFORNIA」で終わったと.
しかし,私はその80年代に本格的にポップミュージックに浸っていったわけでそれ以前をリアルタイムで聴こうにも聴けないのは当然の話である.
そんな中でもハイティーンの頃,80年代後半にヒットチャートの上位を占めたわけではないものの,話題を集めていた内外のハードロックをよく聴いていた.

音楽的感性が薄く,テクノロジー,ビジネス,ヴィジュアル先行と良いとこなしの言われ方をしているが,20年経ってそこそこ再評価されているのではないだろうか.
1980年代に全盛期を迎えたがその後失速して解散に至ったバンドが再結成しているのここ最近よく耳にする.

アニメーションについても1980年代の作品が再評価が進んでいる.
その際たるものは20年経って劇場映画化されている「機動戦士Zガンダム」であろう.TVシリーズの放映が1985年なのでちょうど20年である.

しかし,残念なのは大半が懐古趣味の域を抜けられていないことである.
つい最近までは70年代の焼き直しだった.
それが80年代に移っただけのようにも思える.
再生産に毛が生えた程度であり,もはや全く新しいものは,創造されないのだろうか.

2005年10月20日

史上最強無敵のギャグ漫画

最近,4コマを除いて,まともなギャグ漫画を見かけなくなった.
70~80年代半ばあたりまでがせいぜいではないだろうか.
現在のものは,ストーリー主体で,しかも,どれも押しなべて長い.20巻は当たり前である.昔は,5~10巻程度が普通だったように思う.
漫画というよりも劇画といったほうが良いものばかりである.
そう,漫画はなくなってしまったのである.漫画と呼べるのは,新聞の4コマだけではないだろうか.

私が不滅のギャグ漫画と信じて疑わないのは「マカロニほうれん荘」である.
現在の漫画と比べると非常にコマ割りが小さい.ページ一コマなどはあり得ない.しかも一ページ当たりの文字数が異常に多い.
ビジュアルだけで笑わせている訳ではない証拠である.
それに作者の鴨川つばめが当時かなりミーハーなロックファンだったことが伺える.
コマの端に当時のロックスター達(AERO SMITH,KISS,VAN HALEN etc...)が描かれていたり,
きんどーさんのFreddy Mercury,トシちゃんもJimmy Pageのコスプレをしているのである.
にしても,無意味な破壊力が漲っている.
こんなアナーキーでパンクなハイスピードギャグは,誰にも生み出せないのではないかと思う.
読み手にもこれについていくために体力が要る.
絶対に予定調和しないのである.

実はこの「マカロニほうれん荘」絶版にならずに刷数を重ねているので,古本屋を探すことなく全巻簡単に入手可能なのも驚きである.

2005年10月22日

TM NETWORK : FANKS "FANTASY" DYNA-MIX

fanks.jpg
TM NETWORKの1986年よみうりランドイーストでのライブビデオである.
私が好きだった頃のTM NETWORKである.
LPが2800円,CDが3200円のときにこのVHSソフトが9800円だった.当時高校生だったので到底買えない.
当然,レンタルレコードやレンタルビデオ店のお世話になるわけだが,周囲の級友にもTM NETWORKを知っていたものは居なかった.
すなわち,レンタルビデオ店にも置かれていない.したがって,ビデオクリップ番組で一部を観ることができただけにとどまっていた.
これが阪急三番街の中古レコード市でVHSが1000円だったので購入した.実に20年越しである.
現在,DVD-Videoでも復刻されているが,新品で買ってまでは観たくない.

一般にはこの1年後からヒットチャートをにぎわして世間に認知されていくわけであるが私の中では3rdアルバム『GORILLA』,つまり,ここがピークである.
ここまでが実験的な音作りをしていて面白かったのである.時代の前を走っていたのである.が,4thを最後に聴かなくなった.
コンピュータを駆使したいわゆる“同期モノ”は,URBAN DANCEやGRASS VALEYなどがあったがシングルチャートに食い込む結果を得たのはTM NETWORKだけである.
しかし,90年代初頭,NWOBHMもLAメタルのブームが終わっているのにもかかわらずハードロック的な作品を出したこともあり,
私の好きなギタリストの一人,BRAD GILLISも録音に参加していたが「愚にもつかないものに参加して…」と聴く気すら全く起こらなかった.
この辺で小室哲哉が時代に追い抜かれてしまったのが露呈したように思える.

このライブではサポートミュージシャンが,白田朗(K),松本孝弘(G),西村麻聡(B),山田亘(D).いわばFENCE OF DEFENSEのリズムセクションとB'zのギターである.
本来はFENCE OF DEFENSE丸抱えだったはずだが,北島健二がセッションワークで超多忙だったために松本孝弘が代わりに入ったという経緯はずいぶん前に書いたことがある.
これを買うかどうか,かなり逡巡したが,当時を思い出して,また,未だにFENCE OF DEFENSEも好きであるし,ということで買うことにした.
20年ぶりに観たわけだが,西村麻聡のベースがイイ.FENCE OF DEFENSEでの演奏よりも立っているのではないかと思うほどである.
FENCE OF DEFENSEでのステージのようにスタンドマイクに縛られないので動きも大きい.
残念ながら,サポートなのであまり目立たないし,ビデオの編集上,映っているカットは少ない.山田亘に至っては全く映っていない.
しかし,山田のドラミングもタイトでデカイ.音だけでも十分である.
このツアーのエピソードとしては,西村麻聡はFENCE OF DEFENSEのリードヴォーカリストでもあるので,
「歌わせろ」とリハーサルの時には,宇都宮隆を追い回していたそうである.

2005年10月25日

BとV

日本人の不得手な発音の違いの話ではなく,「BOW WOWとVOW WOWはどう違う?」というVOW WOWが始動した頃のインタビューで「山本恭司と山本譲二くらい違う」と山本恭司が真顔で答えたという話である.
なぜか最近,私はVOW WOWをよく聴いている.
山本恭司のギターというより人見元基のヴォーカルが聴きたいのである.
私が国内外通じてロックを聴き始めたのが80年代中盤なので,ちょうどBOW WOWから斉藤光浩が脱退してVOW WOWが始動した頃である.
たまたま見たNHK教育「ベストサウンド」で初めて山本恭司をみた.
当時はまだ,私自身がやっとアコースティックギターを手にした頃で,エレクトリックギターのことは全く分からなかったが,なぜか山本恭司の黒地に金色のファイアバードの図案のYAMAHA SGが強烈に印象に残っている.
1985年だったと思うので既にVOW WOWである.だから実際,BOW WOWはよく知らない.もちろん,後追いでは聴いているが.
テレビ神奈川の公開ライヴ番組を集めたDVD-Videoのシリーズ「ライブ帝国」,もちろんJohnny, Louis & Char / Pink Cloudは迷うことなく購入して所有しているが,ずっと迷っていたのがBOW WOWである.
ところが観る機会を得たので観たのだが,買ってまで観なくて正解だと思った.どうも,ガチャガチャやっているだけという印象が拭えない.
恐らくは,ヴォーカルが弱いせいだと思う.ロックに特化した音楽番組といえどもTVスタッフの音のバランスに対する意識の低さがあったのかもしれないが.
かなり言い尽くされていることであるが,日本のハードロック/ヘヴィメタルで最弱点はヴォーカルである.故に人見元基の存在はよけいにクローズアップされる.

先日も書いたように80年代の再評価が機運が高まっており,80年代にデビューして90年代に解散に至ったバンドが次々に再結成している.
VOW WOWにも再評価の光が当たることを望む.
人見元基は,現在高校の英語教師をしている.山本恭司は,嬉々として再結成BOW WOWを楽しんでいるようである.
だからVOW WOWを再結成してほしいとは言わないが,せめて中野サンプラザの『HARD ROCK NIGHT』でも最後の武道館でもいいのでライヴ映像を再発売してほしいと思っている.
VOW WOWというバンドのヴィジュアルでは,山本恭司,厚見玲衣,新見俊宏のパーマの長髪,人見元基のストレートの長髪の中で,サングラスに黒いベレー帽という佐野賢二が不思議に印象に残っている.
彼は途中で脱退し現在のBOW WOWにも姿はないが,彼のヴィジュアル的な要素が他のジャパニーズメタルとは一線を画した地に足のついた荘厳な印象を与えていたように思う.
これまで『V』と解散後のCD二枚組のベスト『Legacy』を愛聴してきたが,先日アナログ盤で『CYCLONE』『VOW WOW III』を買ってしまった.
この2枚がVOW WOWでも最も美味しいトコロかも知れない.
しかし,『CYCLONE』の帯に書かれていた“日本のBIG V”のキャッチコピーはいかがなものか,と.BIG VとはVAN HALENのことである.
確かにVを頭文字にしたビッグネームのハードロックバンドには違いないのだが,どうも“日本の○○”というのは後ろ向きでいけない.
とはいえ,イギリスでもリリースされた『CYCLONE』の赤いジャケットデザインと対照的な『VOW WOW III』の黒いジャケットが渋くて格好良く映る.
CDだとAB面という概念がなく連続になるので感動が薄れてしまうのだが,『VOW WOW III』LP B面1曲目:名曲「NIGHTLESS CITY」のタメの聴いたギターのイントロで“おぉ~,キタキタ~”と高揚感を誘われるのが良い.

About 2005年10月

2005年10月にブログ「Weblog : 侃侃諤諤」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2005年9月です。

次のアーカイブは2005年11月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.