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2005年11月 アーカイブ

2005年11月10日

献血も危険か…

献血で健康被害、5万人超 治療費支払いの制度化検討

 2004年度に献血した延べ約540万人のうち、めまいを起こしたり、気分が悪くなったりした人が5万6500人余りに上っていることが2日、厚生労働省の献血に関する懇談会で報告された。
 治療が必要とされ医療費や交通費を受け取った人は802人いることも判明。厚労省は、これまで各地の血液センターが独自の判断で支払っていた医療費や見舞金を見直し、制度化することを検討している。
 医療費や交通費を受け取った802人のうち最も多かったのは、採血時の神経損傷で29%。次いで皮下出血が17%だった。続いて、採血への不安や緊張が引き金になってめまいや意識不明に襲われる血管迷走神経反応(VVR)が12%。VVRによる転倒が15%。採血針でけがをして筋肉が委縮する難治性の反射性交感神経性委縮症(RSD)も1%あった。
 入院が必要だったのは6人で、通院が780人だった。
(共同通信) - 11月2日11時57分更新

なんと献血を行った人の1割強がなんらかの不調を起こしているのだ.私は過去37回献血を行っている.
表彰されるほどであるのでいわばベテランである.無論全くトラブルはない.
そういえば,職場で半年に一回ほど献血車が来て献血を募っていた.
あるとき同期入社の女の子と同じ時間に献血に行ったところ,変な痛みを訴え,後日病院に行くと神経が傷ついていたそうである.
年度は違うが,802人中の29%だったわけである.身近に起こったということでやはり最も多いトラブルなのだろう.

最近2回ほどは,乞われてご指名で献血に行っているわけで,待ち時間なく終わっているのであるが,なんとなく献血ルームに行くと1時間半待ちである.
真夏と真冬には献血は極度に減るという.そんな風に広告されているので行ってみてもやっぱり1時間待ちである.
渡英歴があったら控えてくれとかいろいろと最近は制限が付いて血液不足が危惧されているのにもかかわらずである.
根本的に献血施設が足りないのではないかとも思う.混雑するが故に作業が杜撰になっていくのではないか.

そんな中,大阪・梅田には阪急グランドビルに加えて西梅田にも一つ献血ルームがオープンした.
近いうちに行ってみるつもりである.

2005年11月16日

名前を呼ぶな

先日の皇室の慶事で,天皇家の長女が皇籍離脱して「紀宮さま」だったものが翌日から「黒田清子(さやこ)さん」と呼ばれるようになった.
これは,自然なことであり何ら問題はない.

もう一方で,天皇家の悩みの種は解決の様子がまだない.
後継者の問題であり,皇太子妃の健康状態である.
その後継者についてであるが,マスコミの不敬が目立つ.
何が不敬なのか?名前で呼ぶことである.
本来ならば,「敬宮(としのみや)さま」と称するべきである.現にこれまで前述の通り「紀宮さま」と称し「清子さま」とは呼んでいなかった.
形式上のことであっても目上の人に対しては極力名前は呼ばない.
日常生活でもそうである.勤め先でも上司に対して,役職「部長」や「課長」などで呼んでいる.
古典文学を読んでいても思い当たる部分は多々ある.名前を呼ばせるということはその相手に全てを与えることに等しい.
何もこれは日本だけのことではない.世界各地に見られる.
例えば,神話である.
創造神の名は,明かされるものではない.神は自らの名を他の者に呼ばれることによってその力を失うのである.
モーセの十戒の一つにも神の名を呼んではいけないというのがあったように思う.
この世界共通の不敬を日本放送協会までもが犯しているのである.標準語の原器的機関を標榜しているはずなのに.
おかしな日本語,正しい日本語というのが流行っているが,表現のようなハード的なことだけではなく,こういったソフト的なことも危機的な状態にある.

まとめると,敬称として“さま”を用いるくらいならば,名前を呼ぶようなことは不敬として強く徹底して意識しなければならないし,
それをしないのであれば,共産党のような態度をとるべきである.
先の大戦のときのように御用機関であってはならないという反省があるのならば.
もともと,報道機関の存在意義自体が共産主義的なもののはずである.


また,女帝云々の話もあるが,これも不敬の至りである.そんなことはいよいよの時に考えればよろしい.自衛隊の海外派兵も拡大解釈で押し切ってきたのである.
いかにも皇太子妃は,もはや子供は産めない望めないと決めつけている.これもとんでもない不敬である.不敬でなければ公にされたことなのか?
この意見を問題の先送りだというのであるならば,最初からいくら名家であってもエリート外交官を引き抜いてまで嫁がせるべきではなかったのである.
宮内庁のメンツを保ちたいだけ,体裁の偏重も甚だしいだけである.
奈良,平安の昔のように好き放題やっていただけば良いではないか.洋の東西を問わず,もともと皇(王)族・貴族などはそういったものである.
しかも誤解を恐れずに言えば,日本人であっても日本国民ではないのだから民衆に適用される法律に従う必要はない.
それをとんでもないというのならば,天皇制は廃止するべきである.
英王室をはじめ,他の王国のように政治に直接的に関与するわけでもなく,ただ,憲法に統合の象徴と記されているだけ.
天皇制の廃止をしなければ,本当の意味での小さな政府への移行はできない.日本における究極の構造改革である.

ただし,象徴天皇制であっても,共産主義体制への転換の重しとなっているだけで十分な役割を果たしていることは付け加えておく.
また,妹が大学の一般教養の講義で聞いてきた話であるが,宮内庁を文部省(現・文部科学省)の下に置いて皇室を重要無形文化財保持者(家)としたらどうかというのである.
私もこれは面白い案で非常に良いと思っている.
皇室がなくなれば新嘗祭や歌会始といった宮中行事も行われなくなるのでもったいない話である.
ならば,形のない文化遺産を伝承する家系として残せば良い.
実際,皇族の諸々の公務は文化・スポーツの振興が多いので文部科学省の管理下に置くのはうってつけである.
天皇陵とされている古墳の調査も進んで考古学の発展にも寄与するだろう.

We[love]blogその後

wlvblg.jpg
7月末にWe[Love]blogというエントリーで書いてシックス・アパート社のキャンペーンに応募したことがあった.
10月下旬に当選したというトラックバックがあり,本日シックス・アパート社から記念品が送られてきた.
写真にあるように,“We[Love]blog”ステッカーとSix Apartロゴ入り携帯電話画面拭き,そしてMovableType/TypePadロゴ入りボールペンである.
他には,当選エントリーのダイジェスト一覧と「free paper C」が一冊.
はっきり言ってしまって粗品と言ってしまって差し支えないが嬉しいものである.
無作為に抽出されたのではなく,内容を審査されたのであるから.しかも私は無償ライセンスユーザーである.
前述のダイジェスト一覧にも私の一文が入っている.

ウェブログというのは都合の良い事に初めからカテゴリという概念が存在するので管理しやすい.私が好き勝手に書いた内容に対して,ビジターの琴線に触れる事があればコメントを入れてもらえば良いわけである.

ダイジェストに抜粋されていたのは以上であるが,他の方々はかなり熱くブログについて書いていらっしゃるので私など恥ずかしい限りである.

six apart

2005年11月18日

ええ加減にしとけよ

恐竜博2005を大阪市立自然史博物館に見に行った帰り,久しぶりに日本橋に行った.
最近はPCのパーツ等もあまり興味を持たなくなったので目的はもっぱら中古レコードである.
曜日の関係で定休日の店もたくさんあったのだが,その曜日には定休日ではないお気に入りの店があったのだが数ヶ月行かない間に閉店していた.
店自体はなくなったわけではなく,堀江に本店があるので,結果的にまあ良いのだが.
その店がなくなったことを知らずにいつものように店のあったビルの下まで行って見上げてみるとその店の看板がなく,いわゆる萌え系の看板が….

メイドカフェである.

ガックリきた.

東京の秋葉原に対して大阪の日本橋.
似たような傾向になってくるのは仕方のないことであるが,秋葉原になくて日本橋にあるのが五階百貨店と充実した中古レコード店である.
元々の五階百貨店も衰退の一途でほとんど無いに等しくなり,無線機や電子パーツ店,オーディオショップがPCショップに置き換わり,その上に中古レコード店まで無くなってしまっては,全くもって日本橋の値打ちがない.
家電量販店も関西勢は阪神タイガースのスポンサーとなっている上新電機を除いて軒並み会社更生法や民事再生法を適用して整理の憂き目に遭っているていたらくである.
関東系の量販店のキタへの進出が理由で日本橋が斜陽と言われているが,サブカルチャー中心になったがために一般客が敬遠するようになったのではないだろうか.
( 実はロックもサブカルチャーだが )

日本橋の買い物の楽しみは,値切りの交渉である.関東系の店は値切りには全く応じない.
価格交渉が嫌われるようになったということは,さすがの大阪人もいよいよ対人関係が苦手になってきたということである.

2005年11月30日

ヘソのすぐ下

私は,パンクやビート系に見られるような,ギターを低く構えるのが嫌いである.
ズボンをズリ下げて穿くのと同じで決して格好良くは見えない.
しかもわざと弾きにくくして,下手さを演出したいのだろうか.

ギターを高く構えれば上体とネックが近づき,ストレッチもやりやすくなり演奏の自由度が増す.
左手首の返しが利くのである.低く構えては握り込んでしまうことしかできない.
だからといってギターが胸の前に来るとまるでバタやんなのでギャグにしかならないことは付け加えておく.
Jimmy Pageなど,レコードとステージでは全く違う.
レコードでは椅子に座るので弾けるフレーズもステージではほとんど膝の高さなので途端に下手くそになる.
Kieth Rechardsもルーズなリフしか弾かないし,指一本で押さえられるオープンGチューニングなのでストーンズの曲はほとんどのキーがGである.

意外とテクニシャンのベーシストは高く構えることが多い.
Billy Sheehanや江川ほーじんがそうである.
私がベースを弾くときには,江川ほーじんを手本にしていてボトムを効かせたいのでスラップ奏法でのサムピングは振り抜き型である.
振り抜き型は弦と親指が平行になるようにならないといけない.
したがって高めに構えなければならないのである.

Eric Claptonはじめ,チャーやEdward Van Halen等,私の好きなギタリスト達は高くもなく低くもない.
私自身もだいたいこの3人と相対的に同じくらいの高さだと思う.このくらいが最も格好良く,しかも弾きやすいはずである.
速弾きしかしないのであれば高く構えても良いが,16ビートのカッティング・リズムギターはあまり高くなるとかえって弾きにくい.
だいたい,ピックが6弦にヒットする高さというのはおおむねヘソのすぐ下あたりではないだろうか.

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