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名前を呼ぶな

先日の皇室の慶事で,天皇家の長女が皇籍離脱して「紀宮さま」だったものが翌日から「黒田清子(さやこ)さん」と呼ばれるようになった.
これは,自然なことであり何ら問題はない.

もう一方で,天皇家の悩みの種は解決の様子がまだない.
後継者の問題であり,皇太子妃の健康状態である.
その後継者についてであるが,マスコミの不敬が目立つ.
何が不敬なのか?名前で呼ぶことである.
本来ならば,「敬宮(としのみや)さま」と称するべきである.現にこれまで前述の通り「紀宮さま」と称し「清子さま」とは呼んでいなかった.
形式上のことであっても目上の人に対しては極力名前は呼ばない.
日常生活でもそうである.勤め先でも上司に対して,役職「部長」や「課長」などで呼んでいる.
古典文学を読んでいても思い当たる部分は多々ある.名前を呼ばせるということはその相手に全てを与えることに等しい.
何もこれは日本だけのことではない.世界各地に見られる.
例えば,神話である.
創造神の名は,明かされるものではない.神は自らの名を他の者に呼ばれることによってその力を失うのである.
モーセの十戒の一つにも神の名を呼んではいけないというのがあったように思う.
この世界共通の不敬を日本放送協会までもが犯しているのである.標準語の原器的機関を標榜しているはずなのに.
おかしな日本語,正しい日本語というのが流行っているが,表現のようなハード的なことだけではなく,こういったソフト的なことも危機的な状態にある.

まとめると,敬称として“さま”を用いるくらいならば,名前を呼ぶようなことは不敬として強く徹底して意識しなければならないし,
それをしないのであれば,共産党のような態度をとるべきである.
先の大戦のときのように御用機関であってはならないという反省があるのならば.
もともと,報道機関の存在意義自体が共産主義的なもののはずである.


また,女帝云々の話もあるが,これも不敬の至りである.そんなことはいよいよの時に考えればよろしい.自衛隊の海外派兵も拡大解釈で押し切ってきたのである.
いかにも皇太子妃は,もはや子供は産めない望めないと決めつけている.これもとんでもない不敬である.不敬でなければ公にされたことなのか?
この意見を問題の先送りだというのであるならば,最初からいくら名家であってもエリート外交官を引き抜いてまで嫁がせるべきではなかったのである.
宮内庁のメンツを保ちたいだけ,体裁の偏重も甚だしいだけである.
奈良,平安の昔のように好き放題やっていただけば良いではないか.洋の東西を問わず,もともと皇(王)族・貴族などはそういったものである.
しかも誤解を恐れずに言えば,日本人であっても日本国民ではないのだから民衆に適用される法律に従う必要はない.
それをとんでもないというのならば,天皇制は廃止するべきである.
英王室をはじめ,他の王国のように政治に直接的に関与するわけでもなく,ただ,憲法に統合の象徴と記されているだけ.
天皇制の廃止をしなければ,本当の意味での小さな政府への移行はできない.日本における究極の構造改革である.

ただし,象徴天皇制であっても,共産主義体制への転換の重しとなっているだけで十分な役割を果たしていることは付け加えておく.
また,妹が大学の一般教養の講義で聞いてきた話であるが,宮内庁を文部省(現・文部科学省)の下に置いて皇室を重要無形文化財保持者(家)としたらどうかというのである.
私もこれは面白い案で非常に良いと思っている.
皇室がなくなれば新嘗祭や歌会始といった宮中行事も行われなくなるのでもったいない話である.
ならば,形のない文化遺産を伝承する家系として残せば良い.
実際,皇族の諸々の公務は文化・スポーツの振興が多いので文部科学省の管理下に置くのはうってつけである.
天皇陵とされている古墳の調査も進んで考古学の発展にも寄与するだろう.

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2005年11月16日 17:47に投稿されたエントリーのページです。

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