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2007年7月 アーカイブ

2007年7月 4日

最近の収穫

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VOW WOW / VIBe
昨年の夏頃に,VOW WOWのレコード作品並びにビデオ作品がすべてリマスターで復刻された.
そんな関係から,ようやくアルバム発表時のCDが中古市場に出回るようになってきた.
私はビデオ3作品のDVDとベスト盤『ROCK ME FOREVER』,ライブ盤『HARD ROCK NIGHT』の復刻盤を購入したのだが,オリジナルアルバムは購入していない.
アメリカ盤ベストを含めて7枚の作品を既にアナログ盤で所有しているのである.
しかもこの復刻CDが曲者で,ジャケットはセロテープ痕のあるLPのコピーの上に,あまりマスタリングが良くないらしい.
ということで,当時のCDが出てきたら揃えていこうと考えている.
この作品は,海外での題名は『HELTER SKELTER』である.THE BEATLESのカバー曲をリードトラックとしてある.

RHINOCEROS / EAT THE BEAT
マネジメント社長だった新田一郎氏との確執から爆風スランプを脱退した江川ほーじんが,元TOPS堀尾哲二,元ACTION山根基嗣,元44MAGNUM梅原達也で結成したファンクバンドの3rdアルバムである.
1stが非常に勢いがあったが,2ndではロック色をより薄めてブラックコンテンポラリに近づけた路線変更でファンを失った感があり,ヴォーカルの梅原達也が脱退してそれまでのコーラスの女性がリードヴォーカルに昇格した.
1stほどのハードさはなくポップさが強調されているが,ファンクのビート感は1stの頃に戻っているような気がする.
もともと売れた枚数が少なかったのか,非常に入手困難であり,半ばあきらめて2年ほど前にダウンロード販売で購入して聴いていたが,今回,偶然に見つけることができた.

BABY'S BREATH ,BABY'S BREATH / ROCK ALIVE
このバンド名でデビューする前には,宮原学 with The REBECCA UNITとしてライブ活動を行っていた.
宮原学は,ソロデビューした頃から注目していた.
元REBECCAのリズムセクション,高橋教之,小田原豊とサポートギタリストだった是永巧一,それ以前より宮原のサポートキーボーディストだった元UGUISSの柴田俊文からなる.
キャッチコピーが“男のイケイケ・ハードロックバンド”だったように記憶している.

2007年7月 9日

爆風スランプ/Runner

7月4日放送の『笑っていいとも!』の「プラチナランチショー」コーナーで思い出の青春ソングということでサンプラザ中野が生出演で爆風スランプ時代のヒット曲「Runner」を歌っていた.
曲の誕生エピソードも紹介されていた.
「当初は特定の個人に向けたものだったが…」というものなのだが,その特定の人物がこの曲が収録された『HIGHLANDER』を最後に件の曲がチャート上位に昇っている最中に脱退した江川ほーじんであり,歌詞の中の“君”である.
恥ずかしながら,つい数ヶ月前に「Runner」の裏エピソードを知ったところだったので,ほーじんファンの私としては,単なる懐メロとしてではなく,全く別の感慨をもって聴いていた.
番組では,詳細な事情までは明かされなかった.明かしてしまうと“青春ソング”イメージが崩れ去ってしまう.
アーティストの表現の衝動が商業主義につぶされた結果が青春ソングの代表曲になるとは皮肉なものである.
アルバム『HIGHLANDER』完成で発表を待つのみというタイミングでの雑誌インタビューでは,全くほーじんは語らなかった.
プロデューサーと相当に衝突し,もう既に脱退が決まっていたのだろう.
ウィットの効いた歌詞の内容と迫力あるリズムセクションに底支えされたバンドサウンドに魅力を感じていたので,その要である屈指のスラップベーシスト・江川ほーじんの脱退をきっかけにそれ以降の作品を追うこともやめた.
はじめは「うわさになりたい」「無理だ!!」などの曲やサンプラザ中野のキャラクターで興味を持ったが,バックに聞こえる歯切れの良い低音にだんだんと耳が移っていった.
スラップ(当時はチョッパーと呼ばれていた)奏法を私に強く意識させたのが江川ほーじんである.
ほーじんが居ない爆風スランプには全く魅力は感じなかった.
それ以前にリードトラック「Runner」のそれまでにない青臭いストレートさに違和感と胡散臭さを感じていた.
いくら私であっても,当時まだ高校生だったので,それなりに青臭いことは好きだったはずなのに,である.
著作権の関係で歌詞の抜粋もするわけにはいかないが,
落伍者の分まで自分たちは走り続ける
というのが大方の一般的な解釈だと思うが,
純粋な志を持ち続けるが故にチームを辞めて離れていく友を見捨ててまでも,脇目もふらずに走り続けさせられる
というのがこの曲の真の大意であると思う.
「解散」という結論にたどり着いた爆風スランプのメンバーは江川ほーじんに何かを打ち明けることができたのだろうか.

サンプラザ中野が曜日レギュラーを務める朝日放送「おはよう朝日です」のイベントで爆風スランプが再結成されたが,そのときに江川ほーじんの姿は無かった.
江川ほーじんは大阪府出身である.「おはよう朝日です」は,関西では朝の看板番組であるにもかかわらず.

2007年7月14日

ICカード乗車券

美味しい焼肉店が並ぶことで有名な鶴橋駅で,近鉄とJR大阪環状線を乗り換えて通勤している.
JR西日本のFeliCaを利用した乗車券ICOCAは2003年より運用が開始され,関西私鉄と京阪神地下鉄で組織される,スルッとKANSAI協議会のFeliCa乗車券PiTaPaとも2006年に相互利用できるようになった.
さらには,この4月から近鉄線もPiTaPaに対応した.
ICOCAは運用当初より定期券も用意されていたが,PiTaPaは鉄道会社によりまちまちである.
ICOCAのプリペイド決済に対して,PiTaPaはポストペイでクレジット連動が基本である.乗車回数によって割引率を変動させるための手法で定期券が設定されていない鉄道会社が多い.

そろそろ通勤定期券の期限が切れる頃なので,FeliCaを利用した定期に切り替えようとJR鶴橋駅窓口でICOCAの連絡定期券を申し込んだ.
「近鉄線は磁気定期で買ってください」
その場で定期券の購入はやめ,少し考えることにした.

ほとんどの連絡定期券というのは,2社以上にまたがる場合に発券を一枚で済ませるだけで,改札口の通過手続きとしては,乗換え時には一旦改札口を出て,乗り継ぎ先の改札に改めて入るという,乗換え時に2度改札を通る必要があるのがほとんどではないだろうか.
鶴橋駅のJR-近鉄の連絡改札はそうではない.どちらか一方の改札を出ると同時に他方の改札に入っているのである.改札口の通過は一度だけ.
したがって,連絡乗車券が絶大なるメリットを発揮する.ところが現状では連絡定期券は磁気のものしかない.
FeliCaを使おうとすると2枚に分けなければならず,なおかつ双方FeliCaにはできない,磁気カードを投入した後にFeliCaをかざすという二段階の動作が必要になる.
せっかく改札が一つなのに乗車券が2枚必要という矛盾したことが起こる.
ならば従来どおりの磁気定期券で1枚とするほうが合理的である.

近鉄が「スルッとKANSAI」に加盟する前からJR-近鉄間で直接自動改札機に投入できる連絡プリペイドカード「Jスルーカード」があり,それ以前は近鉄の「パールカード」,JRの「オレンジカード」の2枚が必要だったのが「Jスルーカード」1枚で済むようになっていた.
「Jスルーカード」は鶴橋駅連絡改札のためのプリペイドカードと言っても過言ではない.
しかし,今のこの状態は明らかに逆行している.鶴橋駅の連絡改札の利便性が全く損なわれているように思えてならない.
朝,近鉄側から大阪環状線に乗り換えるときにはそれほど思わないが,帰りに大阪環状線側から近鉄への改札通過が非常に滞るのである.
定期以外の乗車券では,本来ポストペイのPiTaPaに料金をチャージしておけば,JRもPiTaPaで乗車できるし,ICOCAはもともとプリペイドなのでその逆に難はない.

朝夕の利用者は通勤通学が圧倒的に多いはずで,大方が定期券利用であろう.
FeliCaの処理速度を強調し,絶対数を普及させたいのであれば,まず,ICOCAでもPiTaPaでもどちらでも良い,連絡定期の設定が一番の早道である.

2007年7月27日

先生?師匠?

BBSなどの場では,敬愛するミュージシャン,たとえばEric Clapton大師匠,たとえばチャー先生というような具合で敬称を付けていた.
チャー自身がEric Claptonを手本としてギターを練習したという背景からECは師匠ということになり,師匠のほうが先生よりも格上という位置づけのつもりだったが,ところがこの敬称の使い方は間違っているのではなかろうかということが最近あった.
前大阪府知事の横山ノックこと山田勇氏が亡くなったときのことである.
ご存知の通り,強制わいせつ事件で有罪判決を受けて公の場には姿を見せなくなっていたまま亡くなってしまったわけであるが,その件についてハイヒール・リンゴ女史がこんなことを言っていた.

有罪判決を受けて犯罪者として政治生命を絶たれた人に対して“先生”という敬称はおかしいと非難されたことがあるが,政治家としてノック“先生”と呼んだことは一度もない.芸人として“師匠”よりもずっと上の存在だから“先生”と呼ぶのだ.

ということなのである.
そういえば,大阪市無形文化財に指定された夢路いとし・喜味こいしの大御所兄弟漫才師も,“いとこい先生”と呼ばれていた.
ダウンタウン,ハイヒール,トミーズなど,近年,師匠を持たない養成所出身の芸人が中堅~ベテランとなる中,徒弟制度を超越した存在なのだろう.

ということで,敬愛する大御所ミュージシャンへの敬称は“先生”で統一である.

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