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2010年10月 アーカイブ

2010年10月 6日

風の陣(裂心篇)・高橋克彦著

前作風雲篇について書いたのが2007年9月のことだったので,3年を過ぎた.
とうとう,シリーズ完結篇の刊行である.
第一巻の立志篇の出版が1995年だったので15年である.立志篇の頃は,まだ就職前の大学院生だったのが,いまや職場で中堅となってしまっている.
大望篇と天命篇の間が長かったので,中途で忘れられて終わってしまったのかと続きの期待を半分あきらめていたこともあった.
1993年の大河ドラマ原作「炎立つ」に感銘を受けて,高橋克彦氏が描く,さらに時代を遡った物語を偶然に書店で見つけてしまって10年以上を経るとは思わなかった.
しかもその間に歴史時系列的には直後の「火怨」が後から始まったにもかかわらず先に完結し,順序が前後してしまっていた.

立志篇,大望篇,天命篇,風雲篇と道嶋嶋足を主人公に据え,主に都での政変が描かれてきたが,今回は伊治公呰麻呂(本作中では鮮麻呂と表記)を主人公に,彼が引き起こした,いわゆる宝亀の乱に至る物語としてある.
裂心篇の副題のとおり,全篇通して屈辱と怒りに満ちている.
嶋足も登場はするが,弓削道鏡の失脚以降に続日本紀等の史料にも記述が見当たらないためか,もはや活躍はない.
代わりに敵役として登場するのが,道嶋大楯である.史料には嶋足の同族であることしか記されていないが,物語では嶋足の異母弟で屈折した虚栄心と私欲の持ち主で嶋足の手にも負えないかのように描かれている.
呰麻呂という人物は,宝亀五(774)年から十一(780)年の宝亀の乱に関する記述にしか出てこないために,その前後がまったくわからない.
そのせいか,本篇は歴史小説というよりも史料をヒントにした9割5分まで創作といえるかもしれない.
読み終えてすぐに時代的には続編となる「火怨」の冒頭部分だけをすぐに読み返してみた.意外と多くオーバーラップさせてある.
また,鮮麻呂が決起してから紀広純と道嶋大楯の首級を挙げるまでの胆沢勢との呼応のくだりは,一言一句違わず,まったく同じ台詞・状況となっている.
(この辺りが,同じ題材を扱った熊谷達也著「荒蝦夷」「まほろばの疾風」と大きく異なるところである)
当然ながら,「風の陣」では伊治側から,「火怨」では阿弖流為を軸とした胆沢側からの表現となっている.

「炎立つ」の結末での吾妻鏡の記述を変えずに泰衡復権に成功したのが頭にあるので,残念ながら,読んでいて,少々,史料との対応が破綻しているように感じられた.
広純と大楯殺害の順が逆であり,また,その動機があくまで私怨によるものとすることで,朝廷の蝦夷征討の大義を失わせるというものであったが,続日本紀には伊治城での乱の数日後,多賀城までもが蝦夷たちによって掠奪・炎上させられたことが記されており,考古学的にもそれが実証されている.
これでは,鮮麻呂の想いが台無しである.そのため「火怨」には多賀城炎上が書かれているが,本篇では書かれなかった.

前までは,あまり気に留めていなかったが,『呰麻呂』の表記を変えてあるのが気になったので,調べてみた.
『呰』は,相手を口汚く罵るなどの意味で人名に用いる字としては好ましくない.史料は朝廷側の記述なので,おそらく,賊徒として貶めるための表記なのだろう.
大化改新に先立つクーデターで滅ぼされた蘇我氏の名前が記紀ともに全て獣の名前(馬子,蝦夷,入鹿)になっているのは,意図的に貶められているのだという説があり,それと同様と考えられる.

現在,奈良で平城遷都1300年祭が開催されているが,この「風の陣」で描かれた醜い権力闘争,政変,謀略,私欲の舞台がまさに平城京なのである.

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