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ちりとてちん:その三

これを書いている時点で収録が終わり,放送も残すところあと1ヶ月あまりとなった.
以前にタイマー録画して週の半分ずつを楽しんでいると書いたことがあったが,年の瀬も近づいている頃だったか,勤めから帰宅して食事を摂っていると,母親か妹のどちらかが
「今日の『ちりとてちん』な,…」
と話し出すようになったのである.しかも話の筋ではなく,ギャグポイントをである.こうなってしまうと,
「言うなよぉ,気になってしゃあないやないか」
私はほとんどネタ割れというのは気にしない.それよりも聞いた話がどのように演じられたかが実際に見たくなる.
ということで結局その日のうちに見てしまうようになってしまった.
朝ドラに限らず,連続ドラマというのは気になるように切って“つづく”が常である.週で言えば1時間半であるが,一回の放送はわずか15分である.
で,次の回を見るまでフラストレーションを抱えながら毎日過ごすことになる.

今まで,祝祭日や土曜日だけ断片的に見たり,総集編だけを録画して残してある朝ドラはあったが,初回から一回も逃さず見続けるのは初めてである.
あまりに伏線が多く,密度が非常に高いことが,作品の人気に比べて低視聴率に留まっている理由であることが,新聞・雑誌の評論等で述べられてきた.
細かいやりとりやギャグ,さりげなくちりばめられた落語の引用が多いために“朝ドラは時計代わり”に当てはまらず,地上波の放送ではなく視聴率に反映されないBSや録画で見る人が多いと指摘さ
れているのである.
落語の引用では前半でわかりやすかったのが,喜代美が水をかぶって止まらないくしゃみの中,恨み言こぼす「くっしゃみ講釈」からとか,居酒屋のつけが払えない草若が死んだふりをする「掛取
り」から,があった.
後半に入って喜代美の両親の若い頃,喜代美を身ごもり,産気づいて分娩室に運ばれる糸子の後を追う正典の手になぜか魔法瓶が握られていた.
これはおそらく「不動坊」で咄の主人公・金貸しの利吉が美人の後家・お滝を嫁にとる日に舞い上がってしまい,鉄瓶もって風呂屋に行こうとしてしまうことの引用であると思っている.
なかなか気づかれていないようなことも多いのではないだろうか.うかうかとは見ていられないのである.

それらに加えて本作品だけに見られる特徴があることに気づいた.
主人公の台詞が異常に少なく,既に放送された回想シーンがかなり多いのである.にもかかわらず展開が早いので,少々の考証不足は気にならない.
(実在の上方落語界を考えると“四天王”と称される大御所の弟子が五人やそこらのはずがない.最低でも直弟子二十人である.)
第21週「嘘つきは辛抱の始まり」では,一回15分のうち,喜代美は三分の一も出ていない回があった.
回想シーンがあまり多すぎるとダレるのだが,前述のように伏線が複雑かつ多いので全く興味が失せない.
主人公以外の登場人物のエピソードが多いことも理由だろう.
一応の形としてのヒロインは若狭こと喜代美だが,登場人物のすべてが主人公といえる.
第17週「子はタフガイ」では喜代美の両親,第18週「思えば遠くへすったもんだ」では徒然亭一門の弟子各人について,第20週「立つ鳥あとを笑わす」では喜代美の周辺の人物について語られ
ている.

さて,また懲りもせず当たらないであろう予想である.
設定上,徒然亭草若こと吉田仁之助邸は大阪天満宮に隣接している.表通りの突き当たりは天満宮の土塀.通りの脇には稲荷社がある.
草若が息を引き取った後,あの世で喜代美の祖父・正太郎とともに入っていった地獄寄席は吉田邸のセットである.内観は天井に数多く下がった提灯と『樂』の額,一目でわかる繁昌亭だった.
倅で三番弟子・小草若がプロダクション会長に草若の遺志を継ぐ,名跡を継ぐ覚悟を問われていた.
これは吉田邸の敷地が落語の常打小屋に提供されることの伏線ではなかろうか.
実際の天満天神繁昌亭は大阪天満宮の北隣に建っている.

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2008年2月25日 19:44に投稿されたエントリーのページです。

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