成り行き上,言葉について第三弾.
長年の間,不思議で不思議でたまらない,今でも腑に落ちないことがある.
それは“地面”の読み仮名が“じめん”だということである.
“地”という文字,一字だけなら“ち”だろう.
“地名”は“ちめい”であって“しめい”ではないし,“土地”は“とし”ではない.ましてや“地球”は“しきゅう”では断じてない.
なのになぜ“地面”は“ぢめん”ではないのだろうか.
国語審議会の読み仮名の規則では,
複合語で濁音となる場合には単独の単語のときには,清音に濁点をつけ,もともと濁音のときは原則として,ざ行を用いることにする.
というものである.
だから,鼻(はな)+血(ち)は,鼻血(はなぢ)である.けっして,“はなじ”ではない.
風邪や花粉アレルギーの症状であるところの,鼻がつまることは,“はなづまり”であって“はなずまり”ではない.
この法則から行けばやはり,“地面”は“ぢめん”のはずである.
今まで何度も国語審議会の改訂を見てきたが,これだけは一向に改められる気配すらない.
もともと濁音のときは原則として,ざ行を用いるとはしているが,やはりおかしいのではないかと思える語もある.
“伯父”,“叔父”,“小父”はどれも“おじ”である.“父”は“ちち”なので,“おぢ”の方が本来のような気もする.
外来語にもある.“ラジオ”がそうである.英語の綴りは“radio”であえてカナで読むなら“レイディオ”.
“ラジオ”ではなく,“ラヂオ”のほうが,近いような気がする.
もう一例は,尾篭な話で申し訳ないが“痔”である.
これは大阪だけのことかもしれないが,薬局・薬店で掲げている痔の薬の看板には,
でかでかと
ぢ
と記されているのである.症状や痛みなどを非常によく表していると思うのだが.
最後に,大正・昭和初期の洒落.
「世の中は,清むと濁うで大違い.刷毛に毛がある,禿に毛がない.」