<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0">
   <channel>
      <title>Weblog : 侃侃諤諤</title>
      <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/</link>
      <description>KenGO!の主張(「喧喧囂囂-Rock&apos;n Cafe-」のウェブログ)</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
      <lastBuildDate>Tue, 14 Oct 2008 18:26:31 +0900</lastBuildDate>
      <generator>http://www.sixapart.com/movabletype/</generator>
      <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs> 

            <item>
         <title>最初のふれこみとは大違い</title>
         <description>最近，さまざまな形でCDの再発盤が出ている．
最も多いのが「デジタルリマスター」ではないだろうか．同一作品でリマスター盤が何回出ることか．
次から次から音質向上しましたと出されるのである．
音像がはっきりしているとか，音質面の向上はいろいろと図られているのであろうが，何か釈然としないものがある．
1980年代半ば，オーディオCDはどのような触れ込みで出てきたか．
「非接触なので半永久的」「デジタルなので鮮明」・・・．
記録面の劣化問題や昨今の再発盤を見ると明らかに矛盾している．

また、新たに発売されるCDがどうも耳障りでならないのだ．
私の使っているオーディオセットは，それほど大したものでも高級なものでもないがスピーカーの口径はそこそこある．
近頃は，住宅事情や携帯型の音楽プレーヤーの普及といった再生機器の小型化のせいで音圧イメージばかりにとらわれているような気がする．

さて，かくいう私もシリコンプレーヤーを使っている．
そのためには何らかの方法でMP3，AAC，WMA等のフォーマットのデータにする必要がある．
データ変換には，CD－DAからはPCでエンコーダを使ってリッピングが簡単に出来るが，アナログレコードからはオーディオキャプチャしなければならない．
要するにアナログ録音である．
私自身はリマスター再発盤はあまり購入はしないのだが，新編集のベスト盤がリマスターで発表されると購入することが多い．
そこで同一楽曲の場合，不思議なことに気づいた．
1)一期発売盤CDからリッピングしたもの
2)アナログ盤からキャプチャしたもの
3)リマスター盤CDからリッピングしたもの
の三種類で比較すると，
アナログ≒リマスター＞初期盤CDという音質の順序になるのである．
最終的にはデジタルデータの成果物での比較なのだが，結局は，まだまだデジタルはアナログを再現できていないということではないだろうか．

ガラス保護膜を使ったCDや同様の考え方によって保護膜の透過性を高めたSHM-CDなるものも出現しているが，むしろそちらの方に期待したい．
CDであろうがDVDであろうが，現在の光ディスクは記録面が経年劣化するのでそちらを何とかしてほしい．
SHM-CDはCD-DAフォーマットの限界が露呈しているとも言われているが，10月末発表のCD作品をSHM-CDで購入するつもりにしているものがあるので報告できることがあればと考えている．

何回だまされることになるのやら．</description>
         <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/10/post_200.html</link>
         <guid>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/10/post_200.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">音楽</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 14 Oct 2008 18:26:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第１８回彦八まつり</title>
         <description><![CDATA[<img alt="NEC_0054.jpg" src="http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/NEC_0051.jpg" width="345" height="259" />
<img alt="NEC_0054.jpg" src="http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/NEC_0054.jpg" width="345" height="259" />
上方落語に本格的に興味を持ち始めて約３年，生国魂神社で毎年９月第１土日に開かれる上方落語協会主催彦八まつりに初めて足を運んだ．
本当は土曜日の夕方仕事帰りに寄るつもりだったが時間が取れず，さらに翌日曜午後２時頃出かけるつもりだったが，大雨警報が発令されたので外出は控えていた．
警報解除が午後４時半を過ぎたので，結局，５時頃にまでずれ込んでしまった．
当初は，奉納落語の入場受付にも間に合わないだろうから，ただ，雰囲気を味わいに行くだけのつもりだった．
時間がたまたまそうなってしまったので，私の影響で上方落語に興味を持った職場の同僚と落ち合うことにした．
合流するまでの間，一人で境内をうろうろしていた．
９月といえど，まだ，夏の風情が残っているので，浴衣姿の客も少なからずいる．落語家たちは浴衣姿である．識別の方法は浴衣の柄と首から提げている名札である．
イメージとしては，落語家＝芸人≒芸能人なのだが，自ら屋台を出したり，境内を普通に歩いて，客達とも普通にすれ違い，普通に立ち話をしているという，ある意味で不思議な光景だった．
テレビや寄席の高座という，客側から少し隔たった位置にいるはずの人たちである．
天満天神繁昌亭でも演者自ら出入り口に立って呼び込みや終演後の送り出しをしているが，それとも少し違うように感じた．

気軽に話しかけられて，気軽にサインや写真に応じてもらえる．
私も笑福亭生喬さんに尋ねたいことがあったので直接話しかけてみた．とても丁寧に応えてくださり嬉しかった．

まあ，失礼な話ではあるのだが，結局は，褒めることになるので記しておく．
連続テレビ小説「ちりとてちん」において，二十歳そこそこの主人公・喜代美の落語家内弟子修行生活を描くための取材を受けたという，露の団姫(まるこ)．
「ちりとてちん」以降，テレビ等のメディアへの露出が増え，見かける機会が増えた．
テレビや写真を通じて見ると，泉Ｐン子にしか見えないのだが，実際に見るととても綺麗なお嬢さんである．正直驚きだった．

そういえば，ちょうど到着したときにメインステージで話されていたことがある．
露の都率いる女流落語家チーム“上方笑女隊”の出番でちょうど雷雨が降り始め，上方笑女隊のステージは中止になってしまったという．
幸だったのか不幸だったのか…．

(写真は生国魂神社正面鳥居前と笑福亭松喬実行委員長の閉幕挨拶)
]]></description>
         <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/09/post_199.html</link>
         <guid>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/09/post_199.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">つれづれ臭</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 08 Sep 2008 18:47:56 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ちりとてちん：その六</title>
         <description>連続テレビ小説(朝ドラ)として初のスピンオフドラマ「ちりとてちん外伝　まいご３兄弟」が先行して関西ローカルで放映された．
全国放送がまだなので，なにかの間違いで当ブログでネタ割れしてしまうといけないのでストーリーについて詳細は書かない．
落語「宿屋仇」をモチーフに本編同様，小ネタ満載であるとだけは記しておく．

本編結末で，徒然亭若狭こと喜代美が落語家を引退してしまうことが少なからず賛否両論を呼んだが，「まいご３兄弟」を見る限り，全く落語から離れるということはしていない．
もちろん，喜代美が登場することはなかった．あくまで名前が出てきただけ．
しかし，むしろ，より強く密に落語に接していることが示唆されているようにも思えた．
子供をあやすのにも上下を切っているという．
演じ手としては引退しても，落語家の妻として，寄席小屋のおかみさんとして，また，落語作家として生きているのである．
徒然亭草々をこのドラマのストーリーテラーとして，創作落語の体裁で導入部が始まる．その新作落語の作家として扱われるのである．

先日，朝日新聞夕刊１面の連載で，上方の女流落語家がテーマに挙がったことがあった．
「ちりとてちん」は，実際の上方落語界にも少なからず影響を与えていたようである．
露の都，桂あやめ，共に母である．感情移入が強かったのだろう．
実際には女流の代表であるが故に，二人の分身ともいえるキャラクターだったので，結果的にはフィードバックなのだろうが．

想像するに，育児の手が離れたら，復帰することも考えられるし下座を勤める余地もある．
いくらでも勝手な想像で話が膨らみそうである．

</description>
         <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/07/post_198.html</link>
         <guid>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/07/post_198.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">つれづれ臭</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 25 Jul 2008 23:11:43 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>船頭多くして…</title>
         <description>色々と物議を醸している奈良平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターだが，“公式”「せんとくん」の他に「まんとくん」「なーむくん」という“有志”によるキャラクターが6/21現在で二つも出てくるという異例の事態になっている．
歴史には多少なりとも興味はあるし，隣県だし，近鉄電車で普通に乗っても30～40分で行ける所なので少し気になっている．
公式キャラクターの「せんとくん」は，かわいくないだの，気持ち悪いだの，仏様を侮辱しているだの，散々な言われようである．
かわいくない，気持ち悪いは，理解できる．デフォルメと単純化が進んでいないのでどう考えても着ぐるみ栄えがするとは思えないのだ．
しかし，納得できるようでちょっと考えると納得できないのが，仏教界の「仏様を侮辱している」という非難である．
一見，仏に獣である鹿の角を付けることは冒涜しているように思える．
だが，奈良の鹿は神の使い“神鹿”であり，春日大社に属する．江戸期には幕府が鹿の餌料を支給し，鹿を殺した者は死罪であった．それほどのものである．
さらに，興福寺と春日大社は，藤原氏の氏寺・氏神であり，明治期の廃仏毀釈を経験はあるものの，神仏習合のならいは守られ，一体のもので境界がないといっても過言ではないのである．
だから，仏の頭部に鹿の角というモチーフは，奈良を象徴するキャラクターとして全く問題ないのではないだろうか．

</description>
         <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/06/post_197.html</link>
         <guid>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/06/post_197.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">雑想</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 21 Jun 2008 19:36:11 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>JIMMY COPLEY &amp; FRIENDS / SLAP MY HAND</title>
         <description><![CDATA[<img alt="SMH.jpg" src="http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/SMH.jpg" width="190" height="190" />
９０年代初頭以降，チャー先生の相棒として知られる，Jim Copleyの初のリーダーアルバムである．
ドラムスは演奏できないが，PSYCHEDELIX以来，私のフェイバリット・ドラマーである．
タイトで高らかなスネアが非常に特徴的な演奏である．
チャーの「SMOKY」はスタジオ録音だけでも，４パターンが知られているが，PSYCHEDELIXの「SMOKY」すなわちJimのドラム演奏のバージョンが最も良いと思う．
「SMOKY」は，リズムセクション，とりわけドラムスの決めが重要である．
最もJimが綺麗に決まっていると思う．突っ込み気味に聞こえるのに正確無比である．

参加ギタリスト達が豪華である．チャーはもちろん，Jeff BeckやMicky Moody，Bernie Marsdenら．
ベースには，Paul JacksonやVOW WOWファンでもある私には懐かしいNiel Murrayら．
ミュージシャンとしてJimがどれだけ信頼されているか想像に難くない．
PSYCHEDELIX以降，約１０年間は，チャー＆Jimのコンビネーションを聴いてきたせいか，チャー参加曲がとても手慣れた感じでしっくりくる．
ほとんどの曲が一発録りということに驚かされる．

そういえば，PSYCHEDELIXが始動した頃にチャー先生がJimを「ドラムのヤツは何回も叩きたがらない」と評していたことを思い出した．

十何年か前に学生の頃の友人(鍵盤弾き)に，PSYCHEDELIXの1stを聴かせたことがあったが，「Move on」の単純だが印象的なギターのリフとJimの演奏に感心していた．
]]></description>
         <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/05/jimmy_copley_friends_slap_my_h.html</link>
         <guid>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/05/jimmy_copley_friends_slap_my_h.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">音楽</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 24 May 2008 20:17:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ERIC CLAPTON THE AUTOBIOGRAPHY</title>
         <description><![CDATA[<img alt="ecab.jpg" src="http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/ecab.jpg" width="136" height="200" />
「エリック・クラプトン自伝」
Eric Claptonというアーティストを意識して聴くようになってこれまた２０年である．
初めて聴いたのが『Back Trackin'』という２枚組のベスト盤である．はっきり言ってしまって最初は退屈だった．これが「ギターの神」と呼ばれる人の音楽なのか？と．
いくらおとなしくてもハイティーンの血気盛んな頃である．レイドバックサウンドよりもハードロックのほうに魅力を感じる．
まあ，いいところ，CREAMの「CROSS ROADS」止まり．なにしろ，ロックギターの系譜としてはEdward Van Halenに直接的に繋がっていく演奏である．
そんな印象だったのでまともに聴くのではなくBGM的に流していたら，じわじわと効いてきたのである．そうやってのめり込んでいった．
雑誌やムック本は除いても，彼の伝記本は，
「孤高のギタリスト／エリック・クラプトン」
「エリック・クラプトン・ストーリー(原題：SURVIVER)」
「エリック・クラプトン・コンプリート・クロニクル」
「エリック・クラプトンの軌跡」
「エリック・クラプトン／イン・ヒズ・オウン・ワーズ」
「エリック・クラプトン／レコーディング・セッション(原題：ERIC CLAPTON THE COMPLETE RECORDING SESSIONS)」
「エリック・クラプトン／スローハンド伝説(原題：Lost in The Blues)」
また，
「CRAEM／STRANGE BREW」
「名盤の裏側 デレク＆ザ・ドミノス インサイド・ストーリー」
くらいは，これまで読んできた．
これらは，あくまで，第三者が著した本なので所詮は，本人へのインタビューが織り込まれたとしても外から見たことしか書けない．
しかし，今回は本人のペンによる本である．最も赤裸々で最も生々しい．

読み進めながらずっと思っていたのは，こんなデタラメな人間がいていいのかと言うことである．
ファンとして彼に興味を持ち続けている者としては，前述の伝記や雑誌記事等でだいたいどんな生い立ちでどんな人物で，というのは知っているつもりだった
が，それを軽く凌駕し，また，この人が大人になれたのは５０歳を過ぎてからやっとだったのかということにも呆れた．
私ですら，呆れるのだから，『UNPLUGGED』や『PILGRIM』あたりから聴き始めた人などが，この本を読むと陰鬱な気分になるのではないだろうか．
よくぞ，ロックミュージシャンという職業があったものだと思う．完全に人間として破綻しているではないか．
それぞれの伝記を読むごとにショックに思っていたのは，好きな作品がグダグダの状態で創作されて録音されたことである．
例えば，映像作品として残っている『OLD GREY WHISTLE TEST(1977)』，これなどは，いかにもアルコール中毒まっただ中という印象を受ける表情で生彩を全く欠いているが，『THE ERIC CLAPTON CONCERT(1986)』は，それまででベストライブという評判だったし，私も少人数で気合いの入ったのびのびとした演奏が気に入っているのだが，このときですらアルコール中毒から脱していなかったと言うことである．
私がスタジオ盤で最も好きなのが，『MONEY AND CIGARETTES』である．地味だがノリの良い曲もある，少しカントリーっぽいイメージのアルバムである．しかし，これですら，かなりやっつけ仕事だったような書かれ方だった．
また，原文がそんなだったのか，翻訳が良くないのか，箇条書きのような文章であまり読みやすい文章とは言えなかった．

Eric Claptonという御仁，どうしようもない人物だが，そのどうしようもない人物の作品を２０年以上に渡って，しかもプロデビュー時まで遡って好んで聴い
ている私のようなファンもどうしようもない人間なのだろう．
]]></description>
         <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/05/eric_clapton_the_autobiography.html</link>
         <guid>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/05/eric_clapton_the_autobiography.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">読書</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">音楽</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 14 May 2008 19:12:19 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ちりとてちん：その五</title>
         <description><![CDATA[<img alt="higurashi.jpg" src="http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/higurashi.jpg" width="216" height="215" />
５月５日，６日の二日にわたって総集編が合計200分放送されたわけであるが，懸念していたことがまともに起こってしまっていた．
本放送時から，この相互に複雑に絡み合った個々のエピソードが総集編ではどのようにまとめられるのだろうか？と考えていたのである．
全151回あったので，単純計算で2265分(37時間45分)が200分にまとめられたと言うことは1/10以下である．
前編で100分中，約30分が第一週分に費やされていた．物語全体のキーとなるヒロイン・喜代美の祖父・正太郎との関わりに重点が置かれたのはよく理解でき
るが，重要と思われるエピソードがずいぶんととばされてしまっていた．
まんべんなく織り込むには無理があることは十分にわかっている．
・喜代美と清海の間に，結末近くまでしこりとして残り続ける恐竜の化石事件
・喜代美が草々に恋心を抱くきっかけとなったデタラメな辻占茶屋と，清海，草々との三角関係
・内弟子生活，高座名命名と大失敗の初高座
・清海が東京に行くきっかけとなる喜代美の告白
・草々の破門騒動
・親子ともども夫婦喧嘩
・清海の挫折・変貌と秀臣の塗り箸への思いの吐露
・小草若の失踪と復帰
ざっと挙げるだけでもこれだけある．
しかも，私は上方落語からこの作品に入っていったので，落語モチーフの大半が端折られていることが非常に不満が残った．
平均視聴率は，過去の連続テレビ小説でも最低．しかし，終盤近くには朝ドラとして数年ぶりに20%超を記録した．
ということは，この総集編でしか本作品に触れない人も多いはずである．そんな人たちにも魅力が伝わったのだろうか，「噂に聞いてて総集編を見たけど，全然面白くなかった」と感想を持たれると一回も逃さず見ていたファンとしては不本意である．

当初，低視聴率の原因がキャストの弱さにあるのではとの説もあったが，逆に突出したキャスティングでないからこそ，ヒロイン・喜代美の体裁をとってはいるが，その実，二つの和田家と徒然亭一門全員が主人公で濃い複雑な内容となり得たのではないだろうか．

５月２１日から３ヶ月連続で完全版DVD-VideoのBOXセットが発売される．既にシリーズ３セット購入予約済みである．
「そこまで？」と問われても，「そう，そこまで」と答えるしかない．
落語は古典で同じ噺を聞いても，全く同じところで笑ってしまう．
女流落語家としてのサクセスストーリーではないながらも古典落語が物語を構成する各部品のモチーフになっているだけに笑いのツボも同じなのである．

]]></description>
         <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/05/post_195.html</link>
         <guid>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/05/post_195.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">つれづれ臭</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 07 May 2008 18:36:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>Japan Tour &apos;83 &amp; Rockin&apos; Shibuya 2007</title>
         <description><![CDATA[<img alt="NRLIVE.jpg" src="http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/NRLIVE.jpg" width="304" height="180" />
NIGHT RANGERの新旧ライブ記録である．
Japan Tour '83は，本国アメリカ合衆国でのブレイクの呼び水となった新宿厚生年金会館でのライブ映像のDVD-Videoによる復刻，
Rockin' Shibuya 2007は，C.C.レモンホール(旧渋谷公会堂)の昨年の来日コンサートのCD２枚組実況録音盤である．
なんだかんだ言いながらNIGHT RANGERも聴き始めて２０年を過ぎた．
アメリカンハードロックで初めて聴いたバンドがNIGHT RANGERである．実はVAN HALENよりも先にNIGHT RANGERだったのである．
エレクトリックギターに興味を持ち始め，数多くのギタリストを漁り聴いていた頃である．
トレモロアームの名手がいるバンドと言うことで聴き始めた．すなわち私にとってはNIGHT RANGERはBrad Gillisである．
典型的なウェストコーストのアメリカンサウンドではないだろうか，爽快感とおおらかさ，そしてボーカルやツインギターのハーモニー．

1983年のライブはまだ2ndアルバムまでしか発表されていない段階で新鮮なパワー感が堪能できる．
かつて，VHSで所有していたが，あまりに見過ぎたため，テープがダメになってしまった．そのくらい見た作品である．
当時，日本での所属レーベルはワーナー・パイオニアだったのに，CBSソニーから発売されていた不思議な作品である．今回もソニーミュージックから発売された．
それ故に版権の問題でこのDVDでの復刻がかなり難航したことがライナーノーツに記されている．
本国で大ヒットしたSISTER CHRISTIANも収録されているが，まだ，バラードバンドのレッテルが貼られていなかった頃で，最もNIGHT RANGERらしいのではないだろうか．
画面をみると普通のバンドと異なっているのは，リズムセクションの二人がリードボーカルなので舞台上手にドラムセットが置かれていることである．
Brad Gillisのトレードマークである改造された赤いストラトキャスターもまだ真新しく，Jeff Watsonもレスポールである．

2007年のライブは，既に再結成から１０年を過ぎている．このことだけをとってもあの解散がバンドにとって不本意なものだったとわかる．
とはいえ，オリジナルメンバーから二人入れ替わっている．しかもバンドの二枚看板のうちの一人Jeff Watsonがいない．
代わりに舞台下手に立っているギタリストは，Reb Beach．言わずと知れたWINGER～WHITE SNAKEのギタリストでもある．
WINGERも大好きなわけだが，タッピングの名手ではあるけれどもBradと同系統のギタリストだと私は思っていたのでRebのNIGHT RANGER参加は意外なことだった．
メンバーチェンジがあると言うことは，バンド内に不協和音が発生したということもいえるが，ノスタルジーだけでつながっているのではなく進化していると前向きに解釈したい．
そのことを如実に表しているのが，２枚組でボリュームがあるにもかかわらず，BradとRebそれぞれのソロコーナーがないことである．
これまでのライブ記録を見返してみるとどうもJeffはソロコーナーをもちたがったような印象を受ける．その辺りが脱退の遠因であるかも知れないと思ってしまう．
前述のBradの赤いストラト，引退させたと聞いていたがジャケット写真に写っているのでよくよく見てみると，８０年代に市販されていたFernandes製である．
聴いていて違和感があるのが，Bradが左チャンネル，Rebが右チャンネルから聞こえてくることである．ミキシングが間違っているのではなかろうか．

NIGHT RANGERのライブ記録というと，このほかに映像で1985年の『7 WISHES TOUR』，映像と音声で1989年の『JAPAN IN MOTION』，解散・再結成を経て音声で1997年の
『ROCK IN JAPAN』がある．
かつては，アルバム『BIG LIFE』からの選曲が全くなかったが，今回の『Rockin' Shibuya 2007』では『MAN IN MOTION』からが全くなかった．

やっぱりJack BladesはNIGHT RANGERを主たる活動の場としてほしいとNIGHT RAINGERのライブパフォーマンスを視聴して強く思うのである．TMGは血迷ったとしか思えない．
]]></description>
         <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/04/japan_tour_83_rockin_shibuya_2.html</link>
         <guid>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/04/japan_tour_83_rockin_shibuya_2.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">音楽</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 21 Apr 2008 19:34:39 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>食べるということ</title>
         <description>「大食いタレント」なる奇妙な人種が発生して久しい．
もともとはテレビ東京系『TVチャンピオン』から独立したものであるが，他局が真似して大食いと早食いを混同し，死亡事故まで発生させたが，我こそは元祖と復活させて定着したものである．
が，私自身は決して嫌いな番組ではない．
自らの特異体質を生かして人々の耳目を集めるのであるから，一種の才能であるといえる．
名前を売り，元手を作って起業しようとする者もいるので，それはそれで結構なことだろう．

見ていて不快感を催す人もいることもわかる．しかし，よくよく見ていると，常連の出場者は非常に食べっぷりが美しい．
食べ方も頭脳戦である．スマートなのである．見ていて感心する．
逆に挑戦者たちには余裕がなく食べ方が著しく汚らしい．これは確かに不快感に同意できる点である．
食べ物を粗末にしているという意見もあるが，前述のように体質なので必ずしもあたらないと思う．
ただ，食べるという行為は，動物にしろ植物にしろ，他者の生命を犠牲にしているということに他ならないのである．
それだけ，大食い体質を持って生まれたことは業(カルマ)が深いということが言えよう．

ひとつこういうことを考えてみる．
特に肉料理の場合，競技中に出場者達の目の前で家畜を屠殺しながら調理して出してはどうだろうか．
自分たちの体質がいかなるものか，農畜産物の生命とそれを料理として作る手間暇に思いを巡らせながら競技に臨んでもらうのである．

仮に音声だけであっても，とても放送できるものにはならないであろうが，食とは根源的にどういうことかを視聴者にも考えさせる機会にはなろう．
おのずと昨年来，話題になっている賞味期限や消費期限を表面的な数値のごまかし問題にとどまったとらえ方ができなくなると思う．
</description>
         <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/04/post_194.html</link>
         <guid>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/04/post_194.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">雑想</category>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">食・一般</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 17 Apr 2008 22:44:59 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ちりとてちん：その四</title>
         <description>とうとう，終わってしまったな，というのが正直な感想である．しばらくは空虚感を持ってしまうと思う．
連ドラなので当然ながら始まりも終わりも最初から決まっているのであるが．

ここまではまり込んで見た朝ドラはかつてなかった．
私自身のタイミングとしては上方落語に本格的な興味を持って数年，定番の古典落語百数十の概略くらいは説明できるようになり，もっとも知識欲が深い頃である．
加えて朝ドラのヒロインの定義から外れた人物像が空々しくなくて共感と感情移入がしやすかった．
この作品ファンの大多数も同様ではないだろうか．
それから，感動的なシーンで盛り上げてその週が終わっても絶対に次の週の冒頭ですっとーんと鉛直下向きに落とされる．
９０年代初頭に急展開のドラマを指して“ジェットコースター”と称したことがあったが，これはまさしくジェットコースターである．
第１３週の最後，年末最後の放送で大晦日の除夜の鐘が鳴り終わった後，草々が壁を蹴破って喜代美を抱きしめ，「これからおまえが俺のふるさとや！」という名台詞を言って終わったかと思うと，年始一発目には，その後のなんともとぼけたやりとりが明かされる．
また，第２５週最後には草若邸お別れ落語会で常打ち小屋の光明が見えたかと思うと，最終週冒頭では小屋の名前を巡って喧嘩から始まるのである．
最終回に至ってもやはり同じ．いろんな意味での母親になるという決意をみせたかと思えば，陣痛への不安から「どねしよ〜」で最終回が始まる．
普通の朝ドラならば，だいたい，最後１ヶ月で終わる気配をみせるものであるが，本作品はラスト２週でようやく結末の兆しが見えてきた．
この期に及んでまだ事件が起きるかという展開だった．
毎回，最後に流される「ただいま修行中！」の大トリは，喜代美の内弟子修行を描くために取材された，露の団姫(まるこ)と大師匠にあたる露の五郎兵衛だった．
露の五郎兵衛の弟子に上方落語史上初の女流，露の都がいる．

天満天神繁昌亭の計画が持ち上がって上方落語の盛り上がりを見せ，繁昌亭オープン一周年のタイミングでドラマが始まったわけであるが，上方落語を知らない人には，楽しみ方やネタの紹介といった入門編としての一面もあり，少し知っている人には脚本・演出に隠されたネタを楽しみ，もっと知っている人には，実際の上方落語界に起こった出来事をかき集めてモチーフとしたフィクションとして見せていたという，どの段階のファンにでも楽しめる作品になっていたことに放送が終了した今，改めて驚かされる．
前回書いた，草若邸が落語の常打ち小屋として姿を変えることは，大阪天満宮に隣接しているという設定から繁昌亭になぞらえていることは想像できた．
しかし，四天王の一人の死後，その持ち家が寄席に変わるということも事実から得ていることには気づかなかった．
笑福亭鶴瓶師が売りに出されていた師匠の六代目松鶴の旧宅を買い取り，勉強会の会場として「無学」という多目的ホールに改装したことがそれである．
ほかにも，死期を悟った草若の「生きるのが怖い」発言＝枝雀師が鬱病を指して「死ぬのが怖い病」と称したことなど，様々なことが思い当たる．

撮影終了直後の記者会見でチーフプロデューサーが続編に意欲をみせたことが一人歩きしてしまって少々騒動になったようだが，一ファンとしては続編が制作されることはとても楽しみだし，嬉しいことである．
しかし，物語の結末時点で喜代美は３３歳，貫地谷しほりさんの年齢は２２歳で１０歳も隔たりがある，ほかの出演者も同様である．
続編となるとその後から再開されるわけだからちょっと無理があるんじゃないかと思わざるを得ない．
一つの完結した作品として置いておきたいという気持ちもある．

既に総集編の放送予定が５月に決定している．前後編で計２００分，泣きのシーンに偏らず，ちゃんとくだらないギャグの部分もバランスよく配されていることを期待したい．
</description>
         <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/03/post_196.html</link>
         <guid>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/03/post_196.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">つれづれ臭</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 29 Mar 2008 23:26:52 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>地の利だけではない</title>
         <description>３月１７日付朝日新聞夕刊の芸能欄で梅田花月の昼を落語定席にした，うめだ花月花形寄席(花花寄席)が開かれるようになって２週間の記事があった．
初日は満席になったのに，あとは空席が目立つらしい．
天満天神繁昌亭のキャパシティは梅田花月よりも若干大きいくらいだが繁昌亭昼席は相変わらず盛況だという．
交通のことを考えると明らかに梅田のほうがターミナルなのでよいはずである．
松竹と吉本の新喜劇を比べればわかるが吉本興業は下衆な流行は作れても正統的な芸を売るのは下手なのではないかと思う．
文枝，林家，仁鶴一門を持っているのにもったいないことである．
松竹芸能は吉本興業の後塵を拝しているような印象だが，松竹新喜劇，春団治一門，笑福亭一門と，なんといっても上方歌舞伎を持っているのである．
とは言ってもミナミのメインストリートである道頓堀に陣取っていながらそれを生かし切れず，浪花座，中座，角座次々整理に追い込まれている現状にあるのも確かである．
どっちもどっちなのか．
</description>
         <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/03/post_193.html</link>
         <guid>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/03/post_193.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">雑想</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 18 Mar 2008 22:45:03 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>荒蝦夷・熊谷達也著</title>
         <description>文庫化を待っていた作品である．

三十八年戦争の発端となる伊治公呰麻呂が主人公で，クライマックスはいわゆる“呰麻呂の乱”である．
熊谷達也氏の前作としてはその三十八年戦争の中心人物となる大墓公阿弖流為を主人公に据えた「まほろばの疾風」があったが，作品としてはこの「荒蝦夷」と関連は全くない．
その辺りが，同時代を描いた高橋克彦氏の「火怨」「風の陣」に比べて見劣りがするように思う．俘囚，蝦夷の生活様式については熊谷氏のほうがそれらしいのかも知れないが．
宮本武蔵を題材にしても吉川英治とその他ではまったく描きようが違うことと似ている．実際のところ同時代に生きたからといって，沢庵や本阿弥光悦と交流があったかどうかは信憑性に薄いと考え
ている．
作家によって各々どう解釈して創作を進めるかということであり，仮説がこうだったら物語はこう進むということであらすじが決まるのだろう．

史料の上では，この伊治呰麻呂はまったく謎の人物である．乱を起こしたあとの消息が全く知れない．
俘囚長で多賀城の「夷を以て夷を制す」政策に利用されていたこと，乱の際に，按擦使・紀広純，陸奥国造・道嶋大楯を殺害することくらいしかわからない．
史料にある，大楯が呰麻呂に対して蔑むような冗談を言ったようなことは本作には出てこない．
人物像としては，冷徹で残虐な策士で，かつ，民衆・兵には人望厚く慕われていることが，前半は遠田押人，後半は道嶋御楯の目を通して描かれる．
この辺りの時代の歴史小説を読むと必ず前後関係がわからなくなってしまうので，必ず高橋富雄氏などの論著を読んで史実上の前後関係を再確認しなければならなくなる．
しかし，現在以上に歴史学，考古学的に劇的な進展が期待はできそうにないので，このような歴史小説を読んで思いを馳せるよりほかないのだ．

</description>
         <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/03/post_192.html</link>
         <guid>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/03/post_192.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">読書</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 06 Mar 2008 18:14:55 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ちりとてちん：その三</title>
         <description>これを書いている時点で収録が終わり，放送も残すところあと１ヶ月あまりとなった．
以前にタイマー録画して週の半分ずつを楽しんでいると書いたことがあったが，年の瀬も近づいている頃だったか，勤めから帰宅して食事を摂っていると，母親か妹のどちらかが
「今日の『ちりとてちん』な，…」
と話し出すようになったのである．しかも話の筋ではなく，ギャグポイントをである．こうなってしまうと，
「言うなよぉ，気になってしゃあないやないか」
私はほとんどネタ割れというのは気にしない．それよりも聞いた話がどのように演じられたかが実際に見たくなる．
ということで結局その日のうちに見てしまうようになってしまった．
朝ドラに限らず，連続ドラマというのは気になるように切って“つづく”が常である．週で言えば１時間半であるが，一回の放送はわずか１５分である．
で，次の回を見るまでフラストレーションを抱えながら毎日過ごすことになる．

今まで，祝祭日や土曜日だけ断片的に見たり，総集編だけを録画して残してある朝ドラはあったが，初回から一回も逃さず見続けるのは初めてである．
あまりに伏線が多く，密度が非常に高いことが，作品の人気に比べて低視聴率に留まっている理由であることが，新聞・雑誌の評論等で述べられてきた．
細かいやりとりやギャグ，さりげなくちりばめられた落語の引用が多いために“朝ドラは時計代わり”に当てはまらず，地上波の放送ではなく視聴率に反映されないBSや録画で見る人が多いと指摘さ
れているのである．
落語の引用では前半でわかりやすかったのが，喜代美が水をかぶって止まらないくしゃみの中，恨み言こぼす「くっしゃみ講釈」からとか，居酒屋のつけが払えない草若が死んだふりをする「掛取
り」から，があった．
後半に入って喜代美の両親の若い頃，喜代美を身ごもり，産気づいて分娩室に運ばれる糸子の後を追う正典の手になぜか魔法瓶が握られていた．
これはおそらく「不動坊」で咄の主人公・金貸しの利吉が美人の後家・お滝を嫁にとる日に舞い上がってしまい，鉄瓶もって風呂屋に行こうとしてしまうことの引用であると思っている．
なかなか気づかれていないようなことも多いのではないだろうか．うかうかとは見ていられないのである．

それらに加えて本作品だけに見られる特徴があることに気づいた．
主人公の台詞が異常に少なく，既に放送された回想シーンがかなり多いのである．にもかかわらず展開が早いので，少々の考証不足は気にならない．
（実在の上方落語界を考えると“四天王”と称される大御所の弟子が五人やそこらのはずがない．最低でも直弟子二十人である．）
第２１週「嘘つきは辛抱の始まり」では，一回１５分のうち，喜代美は三分の一も出ていない回があった．
回想シーンがあまり多すぎるとダレるのだが，前述のように伏線が複雑かつ多いので全く興味が失せない．
主人公以外の登場人物のエピソードが多いことも理由だろう．
一応の形としてのヒロインは若狭こと喜代美だが，登場人物のすべてが主人公といえる．
第１７週「子はタフガイ」では喜代美の両親，第１８週「思えば遠くへすったもんだ」では徒然亭一門の弟子各人について，第２０週「立つ鳥あとを笑わす」では喜代美の周辺の人物について語られ
ている．

さて，また懲りもせず当たらないであろう予想である．
設定上，徒然亭草若こと吉田仁之助邸は大阪天満宮に隣接している．表通りの突き当たりは天満宮の土塀．通りの脇には稲荷社がある．
草若が息を引き取った後，あの世で喜代美の祖父・正太郎とともに入っていった地獄寄席は吉田邸のセットである．内観は天井に数多く下がった提灯と『樂』の額，一目でわかる繁昌亭だった．
倅で三番弟子・小草若がプロダクション会長に草若の遺志を継ぐ，名跡を継ぐ覚悟を問われていた．
これは吉田邸の敷地が落語の常打小屋に提供されることの伏線ではなかろうか．
実際の天満天神繁昌亭は大阪天満宮の北隣に建っている．
</description>
         <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/02/post_191.html</link>
         <guid>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/02/post_191.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">つれづれ臭</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 25 Feb 2008 19:44:31 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>かぜで動くのは藪医者，銭で動くのは？</title>
         <description>吉本興業が梅田花月を落語の定席にするという．
しかも天満天神繁昌亭の昼席と全く同じ時間にして数百円安い料金設定にするとか．
吉本興業というのは，戦後，上方落語を絶滅寸前にまで追い込んだ張本人である．そして異常なほどに縄張り意識が強い．
それが上方落語ブームに乗ってこういうことをする．
このやり方は気にいらない．私のように思っている上方落語ファンは少なくないと思う．
これまでも，笑福亭仁鶴，桂三枝，桂文珍ら大御所は，なんばグランド花月に出演していたが，若手・新人にも出演の場が与えられるというのは確かに悪いことではない．
ところがおそらく，繁昌亭が所属問わず出演できるのに対し，梅田花月には吉本興業所属以外は出演できないのだろう．
吉本興業に所属する落語家は，上方落語協会員200人あまりのうち桂文枝一門を中心とした60人ほど．実は1/3に足りない．
しかも，現・上方落語協会会長は桂三枝師である．

今では珍しくないが，10年程前まで吉本興業所属と松竹芸能所属の芸人が同じテレビ画面の中に映っているなど全く考えられなかったことである．
他にも吉本新喜劇を辞めるつもりで，京都花月と梅田花月を閉鎖し，ビデオ「ギャグ100連発」を制作したが意に反してこれがヒットしたために存続したのである．
銭の匂いに釣られたとしか思えない態度である．
ビジネスなので営利追求をするのは当然であるが，その儲かった分で他の分野の保護育成も行うべきではないだろうか．
吉本興業は驚くほどの優良企業である．一般の企業が不採算部門から撤退するのとは意味が違う．しかも文化を担っているのである．
</description>
         <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/02/post_190.html</link>
         <guid>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/02/post_190.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">雑想</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 08 Feb 2008 19:08:17 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>要らないスイッチ</title>
         <description>いつも思うのだが，エレベータの「閉」ボタンは要らないのではないだろうか．
こんな非情なスイッチはない．
逆に「開」ボタンは絶対に要る．エレベータの扉は，自動で閉じるので危険である．
そう，放っておいても自動で閉じるのである．

何度か述べているように，私はエレベータやエスカレータを極力避けるようにしているので，エレベータを待つことはしたくない．
だいたい，思うのだが，エレベータのかごが来るのは待てるのになぜ自動で扉が閉じるのを待てないのか？
エレベータにまつわる，人の行動には，常に矛盾がはらんでいることが不思議でならない．
</description>
         <link>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/02/post_189.html</link>
         <guid>http://kenkengogo.s15.xrea.com/weblog/archives/2008/02/post_189.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">雑想</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 05 Feb 2008 20:07:16 +0900</pubDate>
      </item>
      
   </channel>
</rss>
