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Webmaster's Thinking
当サイトの題名を付けるに当たって
 無論,『a few years since』と『Undisposable Tones Alternative Remix』に収録されている「Cruising Jammer Man」をそっくりそのまま題名として使わせて頂いている.ストレートに楽曲の題名を拝借することについては色々と考えた.日本で活躍していたころを重点 的に扱うのであれば,未だに“学生服の天才ギター小僧”の印象があるらしいので「GUITAR KIDS DREAM」でも良かったかも知れないし,人気を博していたFM横浜の番組で当時のファンクラブの名前でもあった「CLUB ELEKING」でも良かったかも知れない.しかし,鈴木賢司は,決して過去の人ではなく,Kenji Jammerとして世界を股に掛け,第一線のさらに前方を走っているアーティストであると主張したかったので渡英後に内容の重心を置くことを制作方針とし た.しかも数ある楽曲のうち,なぜこの曲の題名なのかというと,私がこのサイトの構想を始めたの2002年の前半,同年に始まった『HULA-HULA DANCE』シリーズの第一作のジャケットデザインを手がけたカフェ・ロータスの山本宇一氏のコメントに
「ロンドンの喧噪のはずれにハワイという不思議な名前の静かな町がある.この町に流れ着いたさすらいのギタリストの物語」
というのがあり,この“さすらいのギタリスト”というフレーズとCruising Jammer Manというタイトルが合致したためである.
 INAZUMA Super Sessionで元CREAMのJack Bruceとの共演で日本のロックギターシーンで話題を集めて,ある意味で頂点に立ったのに,翌年の渡英以降,Player誌で連載が続いていたのにも関 わらず,姿を消したと少なからず思われていたことが,私には少々苛立つ材料であった.6年ぶりの新作として『HULA-HULA DANCE』もリリースされたことだし,ひとつ,鈴木賢司さんのことを思い出してもらえればファンを続けている者としても嬉しいと考え,立ち上げたのがこ のCruising Jammer Manなのである.
 さらにはヒットチャートには無関係でもロンドンを基盤に活躍する素晴らしい日本人アーティストが居ることを知ってもらえれば嬉しい.
Back to The 80's and The Early 90's
出会い
 鈴木賢司というギタリストの楽曲・演奏に触れるようになったのは他のアーティストと比べると風変わりなきっかけか らだった.高校生時分,好きだった女性ヴォーカリスト(※1)のライヴの模様がFMラジオで放送された番組をエアチェックして聴いていた.ある曲の中で本 来はアルバムにはギターソロがなかったが,ライヴということで音数が少ないもののスピード感のあるギターソロがあり,そこばかり巻き戻しては聴いていてふ と思った.「インストを聴こう」.どういういきさつで鈴木賢司作品=ロック・インストゥルメンタルだと知っていたかは自分でも定かではない.しかし,そん なことはどうでもよく,すぐにレンタル・レコード店に自転車を走らせ,『Cosmic Words』のLPを借りてきた.針を落とすと,1曲目の「RUMINATE」に続いて徐々にヴォルテージが高まるイントロ,そして爆発的に始まる「理由 なき反抗」.参りました.脳天を直撃された上に頭を左右に撃ち抜かれましたとしか言いようのないインパクトを与えてくれた.それまではニューミュージック 中心に聴いていた私にとって初めて受けたハードロックの衝撃.しかし,そんなハードな曲ばかりでなく,「CLUB ELEKING」や「輝ける7つの海をこえて」のようなメロディアスでポップな曲もあり,はたまたいかにもコンピュータ・ミュージックですというようなテ クノ調の曲もある.歌詞はなくてもメロディがはっきりして,特殊テクをつかっていても嫌味がなくて分かり易い.そんなところに惹かれて他の作品も実際に買 い揃えて聴くようになり,フォーク・ギターをエレクトリック・ギターに持ち替えた.速弾きもタッピングも音程差の大きな痙攣的なアーミングも全て賢司さん に教わったようなものだ.そしてJIMI HENDRIX,JEFF BECK,ERIC CLAPTONからVAN HALENやNIGHT RANGERに至るまで現在も聴き続けているアーティスト,ギタリストを知るきっかけを与えてもらった.
 鈴木賢司さんが渡英されてから,あるいは90年代に入ってからは,国内で知ることができる活動というとほとんどなく,積極的に「倫敦見聞録」をチェック してその断片的で限りなく未定な情報を自分なりに総合して判断していかなければならなかった.また,当時の私がクラブ・ミュージックに対して拒否反応を示 していたこともあってソロ作リリースしか有効な情報ととらえていなかった.2000年を過ぎて賢司さんがDUBやHawaiianといったジャンルを DTMでエモーショナルに再現するのを聴き,後追いで90年代の他のアーティストへの参加作品を中古盤で探しては聴いている状態である.
KenGO!にとって?
 誰でもティーンエイジャーの頃というのは,10年後くらいに振り返ったときには非常に恥ずかしい青臭いことが好きだったりする.
 ちょうど私が大学受験の頃は,受験生人口がピークを迎える前後で偏差値偏重の歪みが取り沙汰されている頃だった.そんな中,私の周りでも,尾崎豊信者が 多数居た.しかし,ハイティーンの全てが,盗んだバイクで疾走したり,夜中に学校に忍び込んで窓ガラスを割りまくるような発散の仕方を選んだわけではある まい.人それぞれに感情のぶつけようがあるはずなのにあまりに直接的にアジテーションするかのような尾崎豊の歌詞がどうしても好きになれなかった.それは ミュージシャンではなく,ある意味で思想家や活動家のやることではないのか,とも思ったりもした.
 最近になって思うのは,私にとっての尾崎豊は鈴木賢司だったのではないかということである.未だに「理由なき反抗」を聴いて,その感情のこもったトーンに胸を詰まらせることがある.
 賢司さんがインストゥルメンタルで表現しようとした理由は,実際には他のところにあると思うのだが,イメージを限定しないファンそれぞれの解釈を許容し ていることにもなるだろう.曲のタイトルが全てを物語っているが「輝ける7つの海をこえて」や「理由なき反抗」など,歌詞がないので題名が唯一の言葉でし かも楽曲の世界観を表している.
 もちろん,鈴木賢司さんと故・尾崎豊さんが大の仲良しだったことは,ファンならば当然知っていることであるが.
きっかけ
 大学生の頃はバンドの真似事のようなこともやっていた.そのきっかけも実は私が鈴木賢司ファンだったということに端を発している.
 講義の合間にたまたまいつもつるんでいる連中とは違う友人と音楽の話で盛り上がったことがあった.「オレ,クラプトンとか鈴木賢司が好き.自分でギター も弾くし」などと言ったのだろう.そんなことを言ったことすら忘れていたある日,同じ学科の先輩から電話があり,「Iくん(KenGO!の本名の苗字),ギター を弾かれるそうですね?」すぐに話の内容がつかめなかったために「はぁ…」としか返答できなかった.では,実際に一度話しをしてみようとい うことで呼ばれたら件の友人もいた.坂本龍一作品のコピー,特に『未来派野郎』(※2)の楽曲を中心的にレパートリーとしたイベント向けの余興バンドをや ろうということだった.ところが「Ballet Mecanique」で聴かれるような速弾きのクレイジーギターを弾ける人間が身近にいなかったらしい.そんなところへ,たまたま鈴木賢司ファンでギター も弾く私が現れたので白羽の矢が立てられたということだった.ファンなら同じようなことができるだろうという単純な発想だったようである.そうしてギ ター,ドラムス,シンセ×2というなんとも変則的な編成のバンドが始まったのである.

'86~'87年のGB誌より

※1 渡辺美里のこと.後でわかったことなのだが,彼女のデビューアルバム 『eyes』収録の「Lazy Crazy Blueberry Pie」のギターで参加している.他の収録曲に比べるとある種の違和感も覚えるほどに非常にハードでふてぶてしいギターサウンドである.この曲の作曲者と してレコーディングに参加していた岡村靖幸と初めて対面し,それまでから仲の良かった尾崎豊や吉川晃司らの飲み友達のグループに岡村靖幸を引き入れたとい うのは知る人ぞ知る話である.
※2 『未来派野郎』では「Broadway Boogie Woogie」と「Ballet Mecanique」の2曲で鈴木賢司のギターソロを聴くことができる.
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